シチリア島の夕べの祈り ウィーンオペラ

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JAN 2024

シチリア島の夕べの祈り

 

作曲:ジュゼッペ・ヴェルディ

台本:ウジェーヌ・スクリーブ&シャルル・デュヴェイリエ

初演:1855年6月30日、パリ・オペラ座

 

あらすじ

 

時と場所:13世紀の1282年。シチリア島の首都パレルモとその近郊。

 

序曲(シンフォニア)

シチリア舞曲風の序奏で始まり、戦いをあらわす激しい第1主題と、穏やかで抒情的な第2主題が奏される主部に入ったのち、コーダは激情的に結ばれる。演奏時間は約9分。

 

第1幕:パレルモの中央広場

フランス統治下のシチリア、ティボーやロベールなどフランス兵達が、酒を飲んで大騒ぎしている(合唱「美しきフランスの国」)。一方、占領されたシチリア人の怒りや不平を表す合唱が、それに対比されて二重合唱となる。フランス軍対島民の対立が描かれるなかで、ロベールが征服されたシチリア人の分け前にあずかるのを心待ちにする短いエピードが挿入される。そこへ喪服を纏ったエレーヌ公女がニネッタとダニエリを伴って、教会へ礼拝するために広場に通りかかると、事情を知っているベテューヌ卿はヴォードモン伯爵にエレーヌ公女こそホーエンシュタウフェン家の殺された前シチリア王フレデリックの妹であり、今はモンフォールの人質の身であると説明する。酔ったフランス兵が、無礼にもエレーヌ公女に歌を歌えと難癖をつける。公女は対立を回避するため、賢明にも求めに応じて歌い始める。三つの短いエピソードからなるアリア「勇気を出して」となり、これが島民を鼓舞してしまい、緊張が高まりフランス兵への復讐に駆り立てられ、一触即発の状況になる。そこへ鬼と恐れられている総督のモンフォールが姿をみせると、人々は抑制され霧散してしまう。公女たち3人とモンフォールだけになり、概ね無伴奏の四重唱「何という恐怖に囲まれてしまったのか」となる。彼女たちは嘆かわしい運命を呪い、モンフォールは不心得な兵士達を嘆く、四重唱が繰り広げられ、お互いの立場の違い歌う。するとシチリアの青年アンリが登場する。彼は反逆罪の疑いで逮捕されていたのだが、公正な裁判の結果釈放になったと、旧友である公女に伝える。モンフォールはアンリと二人だけになると、アンリの身の上について質問したうえで、アンリに総督の部下になるように勧める。アンリがそれを拒否すると、怒った総督は今後エレーヌ公女の館には、出入り禁止でると命じる。予てより密かにエレーヌを愛しているアンリは敵であるモンフォールには与しようとはせず、毅然としてエレーヌ公女の住む館へと向かうのだった。

 

第2幕:パレルモ近郊の近い美しい谷間

船の動きを表すようなオーケストラの序奏に載って亡命していたシチリアの狂信的な愛国者プロシダが、久しぶりに祖国の地を踏む、合唱と共にアリア「おお、パレルモ」を歌い、自由の回復を祈る。プロシダはマンフロワを中心とシチリア人たちに「アンリとエレーヌ公女を助け、シチリアを独立させる。今こそ復讐の期は熟したと」と告げる。人々が立ち去ると、教会から帰りのエレーヌ公女とアンリに近づき、フランスと対立するスペイン軍とビザンチンとはシチリアの反乱を支援することを約束したが、現地で蜂起が起きなければ何も行動を発動しないと言う。プロシダが退場すると、二重唱でアンリはエレーヌ公女に、自分は彼女を愛していて、命も捨てる気持ちだが身分が違うと告白する。エレーヌは兄フレデリックの仇が打てたら、私はあなたと結婚しましょうと誓う。そこへベテューヌ卿が現れ、モンフォール総督からの舞踏会への招待状を届ける。アンリは出席を拒否したが、強制的に連れて行かれてしまう。エレーヌは戻って来たプロシダに事の次第を伝える。プロシダは攻撃の計画を予め立てていたのだった。舞踏会で村の若者に12人の花嫁とその他の若い男女を伴なわせ、会場を満たしタランテラを踊らせた。プロシダは舞踏会に集まっていたフランス兵に親フランス派を装い、地元の娘たちを誘惑することを促したのだった。プロシダの狙いは的中しフランス兵達は花嫁たちに迫り、抱き上げて連れて行ってしまう。公女はプロシダの気転で救われるが、花嫁たちを奪われた島の男たちは怒り狂い合唱「なんてことだ」となる。やがて舞台裏から聴こえるフランス人たちのバルカロールによる舟遊びの歓声に遮られる。プロシダはその夜モンフォールを暗殺する決意を固める。二つの全く性格の違う合唱が対置され、第2幕のフィナーレとなる。

 

第3幕

第1場:モンフォールの邸宅の書斎

オーケストラによる短い前奏曲が終わると、モンフォールはひとり過ぎし日のことを想って、アンリが連れて来られるのを待っている。遥か昔に誘拐した女はもうこの世にないが、実はアンリこそ彼女に産ませた息子で、彼女はモンフォールを憎むように子供を育てたのだった。(アンリは父親が誰であるか知らされていなかったのだ。)それでもモンフォールは成長した我が子とともに、生活したいと願っているのである。モンフォールはアンリを連れて来させると、長い間別れていた我が子に想いを寄せるアリア「権力の只中で」を歌う。これは驚くべき和声的逸脱に満ちた自由な形式のアリアで、外面的権力と内面の空虚についての苦悩を歌い上げる。そこへ連れて来られたアンリに亡き妻からの手紙を見せ、長大な二重唱の中で二人は真実の親子であると告げる。これは標準的イタリア・オペラの形式とは大きく異なったものである。テンポと雰囲気は序曲で提示された主要な主題に合わせて目まぐるしく変化する。アンリは父親に巡り会ったことを喜ぶ一方、エレーヌ公女との約束を守れば、父親殺しになってしまうことに気付き、激しいショックを受ける。父に惹かれる気持ちを振り切って、涙を流しながら逃れ去って行くのだった。

第2場:壮大な広間(舞踏会場)

素晴らしいバレエ「四季」が踊られることで舞踏会が始まる。(このバレエはしばしばカットされる。)この後、仮面舞踏会においてモンフォールは暗殺される計画であった。エレーヌ公女とプロシダは仮面をつけて、この祝宴に紛れ込み、宮殿にいたアンリに暗殺計画を告げる。そこに現れた総督にアンリは、危険を知らせて立ち去らせようとする。その時エレーヌ公女とプロシダが短剣を抜いて総督に襲いかかる。アンリは咄嗟に総督を庇い、暗殺者は逮捕されてしまう。シチリアの島民たちはアンリの裏切りに腹を立てるが、総督は息子の気転と変身を喜ぶ。第3幕のフィナーレは個人的感情を全体的な構図に組み入れるフランス風グランド・オペラの典型的スタイルとなっており、大規模な合唱に伴われ登場人物全員が加わる感動的なものとなっている。

 

第4幕:城内の中庭

オーケストラによる力強い序奏と共にアンリが登場する。アンリは獄中のエレーヌに想いを寄せて、アリア「涙の日」を歌い、自分の運命を嘆く。もしエレーヌが自分を許してくれなければ、死ぬほかはないと思い定めている。牢から出て来たエレーヌに、二重唱でアンリはエレーヌに再度愛を告白し、モンフォールの私生児である事実も告白すると、彼女も再びアンリを許し愛が芽生える。そこに鎖で繋がれたプロシダが現れ、スペイン軍からの反乱を支援する船が来ていると囁く。そこへモンフォールがベテューヌ卿伴って現れ、反乱が拡大する前に謀反人たちを処刑するよう命令する。それを聞いたアンリが、自分も一緒に処刑して欲しいと嘆願する。総督は自分を父親と呼ぶなら、二人に恩赦を与えようと交換条件を持ち出す。すると僧侶たちの合唱とともに、捕えられた島民たちと断頭台が見える。感極まったアンリは、彼等を助けてくれるなら、子としてあなたに従いますと叫ぶ。総督は死刑を中止して、アンリとエレーヌ公女の結婚を許し、対立するフランス人とシチリア島民の和解を象徴としようとする。全員が加わり最後のストレッタとなる。

 

第5幕:モンフォールの宮殿の大広間

終幕は豊かな地方色を醸し出す三曲のナンバーから始まる。合唱とファンファーレの後、アンリと公女の華やかな婚礼の場面になる。続いて捧げられた花束を抱いたエレーヌがシシリエンヌ「ありがとう。若き友よ」とボレロ調の有名なアリアを歌う。次いでアンリが「遠くに風がそよぎ」歌う。そこへプロシダが現れて、漸くフランス軍の防御が手薄になったので、今宵の婚礼の鐘の音を合図に、フランス人の虐殺が始まると告げる。憎悪をたぎらせるプロシダはエレーヌのアンリへの愛を知るとエレーヌを詰る。エレーヌは大量殺戮が起きるのを知ると恐怖に慄く。公女は死んだ兄の幻影ガちらつくと、アンリをこの場から逃がそうとする。事情を知らないアンリは別れるぐらいなら、一緒に死のうと強く抱きしめる。アンリが三重唱の口火を切って「避け難き運命よ」を歌うと、エレーヌは祭壇に進むのを拒み、事態の進行を遅らせようとする。同志との約束の板ばさみになった公女は、ついにアンリと行動を共にする決意を固める。アンリが席を外した隙に、プロシダが近づいてエレーヌに鐘を合図に蜂起が始まると伝える。エレーヌは戻って来たアンリに、結婚式を中止して欲しいと懇願するが、アンリは蜂起の計画を知らないので憤激する。三重唱の最後は「私を騙したな!裏切り者」で最後のストレッタとなり主要人物の対立が再び浮き彫りになる。総督は二人が手を結び合わせたとき、「鐘よ鳴り響け」とプロシダが叫ぶ。夕べの鐘を合図に武装したシチリア人たちが乱入し、フランス人に襲いかかるのだった。

プログラムとキャスト

<スタッフ・キャスト>

 

指揮:Carlo Rizzi

演出:Herbert Wernicke

舞台装置&衣装&照明:Herbert Wernicke

 

モンフォルテ:Igor Golovatenko

アッリーゴ:John Osborn

ジョヴァンニ・プロチダ:Erwin Schrott

エレナ:Rachel Willis-Sørensen

 

*出演者等は変更となる可能性があります*

ウィーン国立歌劇場

 

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又、ウィーンで開催されるクラシックコンサートは勿論、ご希望であればオペラ座近くのホテルやレストランのご予約も可能です。

連絡先

住所:Wohllebengasse 6/2,

1040, Wien

電話:+43 19688622

メール  : office@vienna-concert.com 

 

 

公共交通機関

地下鉄: U1、U2 、 U4
トラム: 1 、 2、D 、62 
バス: 59A
停車駅:カールスプラッツ/オペラ Karlsplatz/Oper
タクシースタンドが近くにあります。又、公演終了時にはタクシーが劇場前に待機しています。ホテルまでのお帰りがご心配な方にはタクシーのご利用をお勧めします。



歴史


ウィーン国立歌劇場はウィーン造形アカデミーの建築家アウグスト・シカート・フォン・ジッカルツブルクとエドゥアルト・ファン・デア・ニルが共作で設計し、1869年5月25日、当時の皇帝フランツ·ヨーゼフと皇后エリザベートの存在下で、モーツァルトの「ドン・ジョバンニ」により盛大にこけら落としが行われました。

 

フランツ·フォン·ディンゲルシュテット(劇場支配人・詩人)、ヨハン・ヘルベック(指揮者・作曲家)、フランツ・ヤウナー(演出家・劇場支配人)、ヴィルヘルム・ヤーン(指揮者)などの芸術的影響を受け、オペラ座の人気は益々高まっていきました。1897年に総監督となったグスタフ・マーラーは、古い上演システムを改新し、新しい舞台芸術を取り入れ、新世代歌手を積極的に起用するなどの第一次改革を行い、その後後継者たちにも引き継がれていきました。

又、マーラーはそれまでオペレッタを上演しなかったオペラ座にヨハン・シュトラウスの「こうもり」を正式なレパートリーとしました。

 

20世紀になると、総監督のリヒャルト・シュトラウスの「ナクソス島のアリアドネ」(1916年10月4日)や「影のない女」(1919年10月10日)の初演が行われます。

 

第二次世界大戦中、1938年から1945年年間はオペラ座暗い時代を迎えます。ナチスの下で多くの団員が追放・殺害され、様々な作品が上演禁止になりました。

1945年3月12日、連合軍の爆撃により舞台は破壊され、建物は火災に遭います。その後、ウィーン・フォルクスオーパーやアン・デア・テアーターウィーン劇場が仮の拠点となり、1955年11月5日カール・ベームによる「フィディオ」の上演で再開を果たします。

1956年に芸術監督に就任したヘルベルト・フォン・カラヤンはイタリア語やその他の外国語作品もドイツ語による上演を行ってきたそれまでの慣例を破り、原語上演の方針を導入し、これはその後ドイツその他の大劇場にも波及しました。

 

今日ウィーン国立歌劇場は、多大なレパートリーが故世界で最も重要なオペラ座の一つとみなされています。

 

2010年9月1日以来、音楽監督はフランツウェルザー=メスト、音楽総監督はドミニクマイヤー。

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