椿姫(バレエ) ウィーンバレエ
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椿姫(バレエ)
振付:ジョン・ノイマイヤー
原作:『椿姫』 アレクサンドル・デュマ・フィス(小デュマ)
音楽:フレデリック・ショパン
初演:1978年 シュトゥットガルト・バレエ マルグリット役はマリシア・ハイデ
あらすじ
プロローグ
亡くなった高級娼婦・マルグリットの邸宅で、彼女の遺品の競売が行われている。生前のマルグリットと関わりのあった人々が訪れる中、マルグリットの恋人であった青年・アルマンが駆け込んでくる。彼女の死を現実として突きつけられ、倒れこむアルマン。彼を助け起こした父のデュヴァル氏も、自分の家族と彼女のため良かれと思ってしたことが招いた悲劇に苦しんでいる。アルマンは、見覚えのある彼女の数々の遺品を前に、マルグリットとの日々を回想する。
第1幕
アルマンが初めてマルグリットに出会った劇場。艶やかに微笑みアルマンをからかう美しい彼女がどういう種類の女か知りながら、彼はマルグリットにどうしようもなく惹かれていく。舞台では『マノン・レスコー』が演じられるが、マルグリットとマノン、アルマンとデ・グリュが鏡像のように向かい合い、彼らの運命を暗示する(第1楽章)。具合が悪くなり、居室に下がったマルグリットを見舞うアルマン。彼の情熱的なアプローチにマルグリットも次第に心を動かされ、彼に椿の花を手渡す(第2楽章、パ・ド・ドゥ)。しかし、マルグリットはアルマンの想いを受け入れた後も、彼の気持ちにお構いなく相変わらず放埓な生活を続ける(第3楽章)。
第2幕
夏、マルグリットはアルマンや友人たちと田舎の家で遊び暮らしている(ショパンのピアノ・ソロの小曲に合わせ軽妙な踊りが披露される)。その様子を見たパトロンの公爵は激怒するが、マルグリットはアルマンを本気の恋人だと公言し、公爵との関係を断つ。マルグリットはもはや娼婦ではなく、ただの恋する乙女としてアルマンとの真実の愛に生きようとする(ピアノソナタ第3番第3楽章、パ・ド・ドゥ)。だが、2人の関係を知ったアルマンの父・デュヴァル氏がマルグリットを訪ね、息子と別れて欲しいと懇願する。内心ではデュヴァル氏と同じことを考えていたマルグリットの脳裏に「マノン」の姿がよぎる。苦悩の末、「自分は『マノン』にはなるまい」と、マルグリットはアルマンとの別離に同意する(前奏曲第15番)。アルマンの留守に手紙だけを残して姿を消したマルグリットを追って、彼はパリに駆け戻るが、そこで見たものは自室に男を招き入れるマルグリットの姿であった。何も知らないアルマンはマルグリットに裏切られたのだと思い込み、絶望に打ちひしがれる。
第3幕
冬、パリのシャンゼリゼでマルグリットとアルマンは再会する。マルグリットは病が悪化しやつれきっていたが、傍目には新しい愛人と以前通り華やかな生活を送っているように見えた。アルマンはマルグリットへの当てつけに、愛してもいないオランピアと付き合い、ことさらに親しく振舞って見せるが、虚しさだけが募っていく。一方で毅然と振舞い続けていたマルグリットも耐え切れなくなり、病躯をおして一夜だけアルマンの元を訪れる。最初は彼女を拒絶しながらも、もう一度やり直せるのではないかと思うアルマンと、彼に別離の事情を告げることはできず、また自分に残された時間はわずかだと覚悟もしているマルグリットの気持ちはずれたまま、それでも抑え難い情熱に突き動かされ、2人は狂気のような最後の愛を交わす(バラード第1番、通称「黒のパ・ド・ドゥ」。なお、これに相当する場面はオペラでは描かれない)。しかしそれも一夜限りのことだと思ったアルマンは、舞踏会でマルグリットを散々苛めた挙句、「一夜の代金」の入った封筒を突きつける(=マルグリットを「恋人」ではなく「娼婦」として扱ったという意味)。最後のショックについにマルグリットは倒れ、アルマンは傷心旅行に出てしまう。
マルグリットはアルマンと別れた真の理由と彼への愛を日記に書き残していた。『マノン・レスコー』ではマノンは愛するデ・グリュの腕の中で息絶えるが、マルグリットは再びアルマンに逢うことなく孤独な死を迎えたのだった。
プログラムとキャスト
<スタッフ・キャスト>
指揮:Markus Lehtinen
音楽:Frédéric Chopin
振付&演出:John Neumeier
舞台&衣装:Jürgen Rose
照明:Ralf Merkel
稽古付:Kevin Haigen
ピアノ:Anika Vavic
他
ウィーン国立歌劇場
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ご予約いただいたチケットはEチケットとなります。もしもEチケットが届かない場合は、メールでお知らせください。
又、ウィーンで開催されるクラシックコンサートは勿論、ご希望であればオペラ座近くのホテルやレストランのご予約も可能です。
連絡先
住所:Wohllebengasse 6/2,
1040, Wien
電話:+43 19688622
メール : office@vienna-concert.com
公共交通機関
地下鉄: U1、U2 、 U4
トラム: 1 、 2、D 、62
バス: 59A
停車駅:カールスプラッツ/オペラ Karlsplatz/Oper
タクシースタンドが近くにあります。又、公演終了時にはタクシーが劇場前に待機しています。ホテルまでのお帰りがご心配な方にはタクシーのご利用をお勧めします。
歴史
ウィーン国立歌劇場はウィーン造形アカデミーの建築家アウグスト・シカート・フォン・ジッカルツブルクとエドゥアルト・ファン・デア・ニルが共作で設計し、1869年5月25日、当時の皇帝フランツ·ヨーゼフと皇后エリザベートの存在下で、モーツァルトの「ドン・ジョバンニ」により盛大にこけら落としが行われました。
フランツ·フォン·ディンゲルシュテット(劇場支配人・詩人)、ヨハン・ヘルベック(指揮者・作曲家)、フランツ・ヤウナー(演出家・劇場支配人)、ヴィルヘルム・ヤーン(指揮者)などの芸術的影響を受け、オペラ座の人気は益々高まっていきました。1897年に総監督となったグスタフ・マーラーは、古い上演システムを改新し、新しい舞台芸術を取り入れ、新世代歌手を積極的に起用するなどの第一次改革を行い、その後後継者たちにも引き継がれていきました。
又、マーラーはそれまでオペレッタを上演しなかったオペラ座にヨハン・シュトラウスの「こうもり」を正式なレパートリーとしました。
20世紀になると、総監督のリヒャルト・シュトラウスの「ナクソス島のアリアドネ」(1916年10月4日)や「影のない女」(1919年10月10日)の初演が行われます。
第二次世界大戦中、1938年から1945年年間はオペラ座暗い時代を迎えます。ナチスの下で多くの団員が追放・殺害され、様々な作品が上演禁止になりました。
1945年3月12日、連合軍の爆撃により舞台は破壊され、建物は火災に遭います。その後、ウィーン・フォルクスオーパーやアン・デア・テアーターウィーン劇場が仮の拠点となり、1955年11月5日カール・ベームによる「フィディオ」の上演で再開を果たします。
1956年に芸術監督に就任したヘルベルト・フォン・カラヤンはイタリア語やその他の外国語作品もドイツ語による上演を行ってきたそれまでの慣例を破り、原語上演の方針を導入し、これはその後ドイツその他の大劇場にも波及しました。
今日ウィーン国立歌劇場は、多大なレパートリーが故世界で最も重要なオペラ座の一つとみなされています。
2010年9月1日以来、音楽監督はフランツウェルザー=メスト、音楽総監督はドミニクマイヤー。