リサイタル:アンナ・ネトレプコ
OCT 2023 | ||||||
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プログラムとキャスト
<出演>
ソプラノ:アンナ・ネトレプコ
ピアノ:エレーナ・バシュキロワ
<プログラム>
N・リムスキーコルサコフ:「4つの歌」 Op. 40より第3曲 悲歌「静かな夜に夢見たこと」
N・リムスキーコルサコフ:「 春に」 Op. 43より第2曲 高嶺に吹く風もなく
N・リムスキーコルサコフ:「4つの歌」 op. 3より第4曲 「グルジアの丘にて 」
N・リムスキーコルサコフ:「6つの歌」op. 8より第5曲「ばらと酒の国に来たまえ」(A.A.フェート詞)
N・リムスキーコルサコフ:「4つの歌」 op. 26より第4曲 「ズライカの歌 」
N・リムスキーコルサコフ:「4つの歌」 op. 2より第4曲「私の涙から」
N・リムスキーコルサコフ:歌劇「金鶏」より、シェマハの女王のアリア「太陽への讃歌」
N・リムスキーコルサコフ:「4つの歌」 op. 42より第3曲「たなびく雲は薄くなり
N・リムスキーコルサコフ:「ソプラノのための2つの歌」op. 56より第1曲「ニンフ」
N・リムスキーコルサコフ:歌劇「雪娘」より「フィナーレ」
***休憩***
S・ラフマニノフ:「12のロマンス」Op.21より第5曲「リラの花」
S・ラフマニノフ:「15のロマンス」op. 26より「私の窓辺に」
S・ラフマニノフ:「12のロマンス」Op.21より第4曲「彼女たちは答えた」
S・ラフマニノフ:「6つのロマンス」Op.8より第5曲「夢」
S・ラフマニノフ:「12のロマンス」Op.21より第7曲「ここはすばらしい」
S・ラフマニノフ:「12のロマンス」Op.14より第8曲「おお、悲しまないで」
S・ラフマニノフ:「14のロマンス」Op.34より第13曲「不協和音」
P・I・チャイコフスキー:「6つの歌」 op. 38より第2曲「早春のこと」
P・I・チャイコフスキー:「12の歌」op. 60より第6曲「眠れぬ夜」
P・I・チャイコフスキー:「6つの歌」 op. 6より第5曲「なぜバラは色褪せたか」
P・I・チャイコフスキー:「6つの歌」 op. 63より第6曲「セレナード 」
P・I・チャイコフスキー:「7の歌」op. 47より第7曲「私は野の草ではないのか 」
P・I・チャイコフスキー:「D.M.ラートガウスの詞による6つの歌」 op. 73より第4曲「陽は沈み」
P・I・チャイコフスキー:「7つの歌」 op. 47より第6曲「昼が満ちても」
ウィーン国立歌劇場
RM Europa Ticketではウィーン国立歌劇場のチケットのご予約を承ります。
その他、ヨーロッパ内(パリ、ミュンヘン、ミラノその他)のオペラ、コンサートのチケットも確実のに手配いたします。
ご予約いただいたチケットはEチケットとなります。もしもEチケットが届かない場合は、メールでお知らせください。
又、ウィーンで開催されるクラシックコンサートは勿論、ご希望であればオペラ座近くのホテルやレストランのご予約も可能です。
連絡先
住所:Wohllebengasse 6/2,
1040, Wien
電話:+43 19688622
メール : office@vienna-concert.com
公共交通機関
地下鉄: U1、U2 、 U4
トラム: 1 、 2、D 、62
バス: 59A
停車駅:カールスプラッツ/オペラ Karlsplatz/Oper
タクシースタンドが近くにあります。又、公演終了時にはタクシーが劇場前に待機しています。ホテルまでのお帰りがご心配な方にはタクシーのご利用をお勧めします。
歴史
ウィーン国立歌劇場はウィーン造形アカデミーの建築家アウグスト・シカート・フォン・ジッカルツブルクとエドゥアルト・ファン・デア・ニルが共作で設計し、1869年5月25日、当時の皇帝フランツ·ヨーゼフと皇后エリザベートの存在下で、モーツァルトの「ドン・ジョバンニ」により盛大にこけら落としが行われました。
フランツ·フォン·ディンゲルシュテット(劇場支配人・詩人)、ヨハン・ヘルベック(指揮者・作曲家)、フランツ・ヤウナー(演出家・劇場支配人)、ヴィルヘルム・ヤーン(指揮者)などの芸術的影響を受け、オペラ座の人気は益々高まっていきました。1897年に総監督となったグスタフ・マーラーは、古い上演システムを改新し、新しい舞台芸術を取り入れ、新世代歌手を積極的に起用するなどの第一次改革を行い、その後後継者たちにも引き継がれていきました。
又、マーラーはそれまでオペレッタを上演しなかったオペラ座にヨハン・シュトラウスの「こうもり」を正式なレパートリーとしました。
20世紀になると、総監督のリヒャルト・シュトラウスの「ナクソス島のアリアドネ」(1916年10月4日)や「影のない女」(1919年10月10日)の初演が行われます。
第二次世界大戦中、1938年から1945年年間はオペラ座暗い時代を迎えます。ナチスの下で多くの団員が追放・殺害され、様々な作品が上演禁止になりました。
1945年3月12日、連合軍の爆撃により舞台は破壊され、建物は火災に遭います。その後、ウィーン・フォルクスオーパーやアン・デア・テアーターウィーン劇場が仮の拠点となり、1955年11月5日カール・ベームによる「フィディオ」の上演で再開を果たします。
1956年に芸術監督に就任したヘルベルト・フォン・カラヤンはイタリア語やその他の外国語作品もドイツ語による上演を行ってきたそれまでの慣例を破り、原語上演の方針を導入し、これはその後ドイツその他の大劇場にも波及しました。
今日ウィーン国立歌劇場は、多大なレパートリーが故世界で最も重要なオペラ座の一つとみなされています。
2010年9月1日以来、音楽監督はフランツウェルザー=メスト、音楽総監督はドミニクマイヤー。