後宮からの誘拐 ウィーンオペラ
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後宮からの誘拐
作曲:ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
台本:クリストフ・フリードリヒ・ブレッツナー
編集:ゴットリープ・シュテファニー弟
あらすじ
場所:地中海の沿岸のどこかにある太守の王宮。
時代:18世紀
第1幕
ベルモンテは婚約者コンスタンツェを探している。コンスタンツェはイギリス人の女中ブロンデとともに海賊の手に落ち、太守セリムに売られたのだった。太守の家来オスミンが庭にイチジクを摘みにやってくるが、ベルモンテのあいさつを無視する。ベルモンテは召使ペドリッロの情報を聞き出そうとする。オスミンは怒り出す。ベルモンテはペドリッロと再会し、コンスタンツェを誘拐することにする。
イェニチェリの合唱に伴われて、セリムがコンスタンツェと登場する。コンスタンツェはセリムの求愛を拒む。ペドリッロの勧めによって、セリムはベルモンテをイタリアの建築家として雇う。しかし、オスミンはベルモンテを王宮に入れようとしない。
第2幕
ブロンデはオスミンの荒っぽい求愛を拒絶する。コンスタンツェは悲嘆に暮れながらブロンデを迎える。セリムは暴力を使うと脅すが、コンスタンツェは苦痛も死も恐れないと答える。
ペドリッロは恋人のブロンデに会い、ベルモンテが来て逃亡の用意をしていることを伝える。ブロンデは大喜びする。ペドリッロはオスミンを誘って酒を飲ませ、眠らせようとする。この作戦は成功し、ベルモンテはコンスタンツェと再会する。ベルモンテとペドリッロは、コンスタンツェとブロンデの貞節を疑うが、誤解が解けて和解する)。
第3幕
ベルモンテとペドリッロがはしごを持って庭にやってくる。ベルモンテはコンスタンツェを連れ出すことに成功するが、ペドリッロがブロンデと逃げ出そうとするときにオスミンに捕まる。ベルモンテとコンスタンツェも衛兵に連行される。セリムはベルモンテが仇敵の息子であると知り、死刑を命令しようとする。しかし、セリムは二人の悲嘆を聞いて改心し、全員を釈放する。残忍な処刑を楽しみにしていたオスミンはろうばいする。
プログラムとキャスト
<スタッフ・キャスト>
指揮:Cornelius Meister
演出:Hans Neuenfels
舞台:Christian Schmidt
衣装:Bettina Merz
照明:Stefan Bolliger
脚色&演出助手:Henry Arnold
太守セリム:Christian Nickel
コンスタンツェ:Jessica Pratt
コンスタンツェ(女優):Emanuela von Frankenberg
ブロンデ:Serena Sáenz
ブロンデ(女優):Stella Roberts
オスミン:Antonio Di Matteo
オスミン(俳優):Andreas Grötzinger
ベルモンテ:Sebastian Kohlhepp
ベルモンテ(俳優):Christian Natter
ペドリッロ:Michael Laurenz
ペドリッロ(俳優):Ludwig Blochberger
他
*出演者等は変更となる可能性があります*
ウィーン国立歌劇場
RM Europa Ticketではウィーン国立歌劇場のチケットのご予約を承ります。
その他、ヨーロッパ内(パリ、ミュンヘン、ミラノその他)のオペラ、コンサートのチケットも確実のに手配いたします。
ご予約いただいたチケットはEチケットとなります。もしもEチケットが届かない場合は、メールでお知らせください。
又、ウィーンで開催されるクラシックコンサートは勿論、ご希望であればオペラ座近くのホテルやレストランのご予約も可能です。
連絡先
住所:Wohllebengasse 6/2,
1040, Wien
電話:+43 19688622
メール : office@vienna-concert.com
公共交通機関
地下鉄: U1、U2 、 U4
トラム: 1 、 2、D 、62
バス: 59A
停車駅:カールスプラッツ/オペラ Karlsplatz/Oper
タクシースタンドが近くにあります。又、公演終了時にはタクシーが劇場前に待機しています。ホテルまでのお帰りがご心配な方にはタクシーのご利用をお勧めします。
歴史
ウィーン国立歌劇場はウィーン造形アカデミーの建築家アウグスト・シカート・フォン・ジッカルツブルクとエドゥアルト・ファン・デア・ニルが共作で設計し、1869年5月25日、当時の皇帝フランツ·ヨーゼフと皇后エリザベートの存在下で、モーツァルトの「ドン・ジョバンニ」により盛大にこけら落としが行われました。
フランツ·フォン·ディンゲルシュテット(劇場支配人・詩人)、ヨハン・ヘルベック(指揮者・作曲家)、フランツ・ヤウナー(演出家・劇場支配人)、ヴィルヘルム・ヤーン(指揮者)などの芸術的影響を受け、オペラ座の人気は益々高まっていきました。1897年に総監督となったグスタフ・マーラーは、古い上演システムを改新し、新しい舞台芸術を取り入れ、新世代歌手を積極的に起用するなどの第一次改革を行い、その後後継者たちにも引き継がれていきました。
又、マーラーはそれまでオペレッタを上演しなかったオペラ座にヨハン・シュトラウスの「こうもり」を正式なレパートリーとしました。
20世紀になると、総監督のリヒャルト・シュトラウスの「ナクソス島のアリアドネ」(1916年10月4日)や「影のない女」(1919年10月10日)の初演が行われます。
第二次世界大戦中、1938年から1945年年間はオペラ座暗い時代を迎えます。ナチスの下で多くの団員が追放・殺害され、様々な作品が上演禁止になりました。
1945年3月12日、連合軍の爆撃により舞台は破壊され、建物は火災に遭います。その後、ウィーン・フォルクスオーパーやアン・デア・テアーターウィーン劇場が仮の拠点となり、1955年11月5日カール・ベームによる「フィディオ」の上演で再開を果たします。
1956年に芸術監督に就任したヘルベルト・フォン・カラヤンはイタリア語やその他の外国語作品もドイツ語による上演を行ってきたそれまでの慣例を破り、原語上演の方針を導入し、これはその後ドイツその他の大劇場にも波及しました。
今日ウィーン国立歌劇場は、多大なレパートリーが故世界で最も重要なオペラ座の一つとみなされています。
2010年9月1日以来、音楽監督はフランツウェルザー=メスト、音楽総監督はドミニクマイヤー。