ラインの黄金 ウィーンオペラ

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MAY 2022

ラインの黄金
「ニーベルングの指環」序夜


作曲&台本(ドイツ語):リヒャルト・ワーグナー

初演:1869年9月22日 ミュンヘン、宮廷歌劇場

 

 

あらすじ(全1幕)

 

第1場:ラインの河底

舞台はライン川の河底。ニーベルング族のアルベリヒは3人のラインの乙女たちに言い寄るが、乙女たちは彼を嘲弄する。アルベリヒは河の底に眠る黄金を見つける。ラインの乙女たちから、愛を断念する者だけが黄金を手にし、無限の権力を得て世界を支配する指環を造ることができると聞かされたアルベリヒは、愛を捨てて呪い、黄金を奪う。

第2場:広々とした山の高み

ヴォータンは巨人族の兄弟ファーゾルトとファーフナーにライン河畔の山上に居城「ヴァルハラ」を造らせ完成させていた。兄弟へは報酬として女神フライアを与えるという契約になっていた。しかし、もともと約束を果たすつもりのないヴォータンは、この契約を勧めたローゲに考えがあるはずとして、ローゲに事態の収拾を図らせようとする。

ローゲはアルベリヒがラインの黄金を奪い去ったことをみなに話し、ラインの乙女たちが指環を取り戻してほしいと願っていることを伝える。ニーベルング族とは確執のある巨人たちは財宝の話に惹かれ、フライアの代わりの報酬にせよと言い出す。ヴォータンは自身が世界を支配する指環を得たいと望んだことからこの申し出を拒む。怒った巨人たちは、フライアを人質にして連れ去ってしまう。フライアの作る若返りのリンゴが食べられなくなった神々は若さを失い始める。意を決したヴォータンは、ラインの黄金を手に入れるためにローゲを伴って地下に降りてゆく。

 

第3場:ニーベルハイム

地底のニーベルハイム。アルベリヒはラインの黄金を指環に矯め、その力でニーベルング族の王となって、弟のミーメも隷属させていた。ミーメは、アルベリヒの指示で造らされた魔法の隠れ頭巾を密かに奪おうとして、アルベリヒに見つかり、むち打たれる。

ヴォータンとローゲはミーメから事情を聞き出し、アルベリヒに近づく。アルベリヒは2人を警戒するが、次第にローゲの口車に乗せられ、おだてられて魔法の隠れ頭巾を使ってカエルに変身してみせたところを捕らえられてしまう。ヴォータンとローゲはアルベリヒを縛り上げ、地上に拉致する。

 

第4場:第2場に同じ

再び山上の開けた台地。ヴォータンはアルベリヒに身代金を要求し、アルベリヒは仕方なくニーベルング族を使ってかき集めた財宝を差し出す。それでもアルベリヒは許されず、ローゲに魔法の隠れ頭巾を奪われ、ヴォータンからはラインの黄金を鍛えた指環を無理やり取り上げられてしまう。ようやく自由の身になったアルベリヒは、指環に死の呪いをかけて去る。しかし、念願の指環を手にしたヴォータンは意に介さない。

巨人族の兄弟がフライアを連れて現れ、フライアの身の丈と同じだけの財宝を要求する。ローゲとフローがニーベルング族の財宝を積み上げていく。ローゲが隠れ頭巾を差し出してもまだ足らず、巨人たちはヴォータンの指環を要求する。ヴォータンはこれを断固拒絶、指環はラインの乙女たちに還してやってはというローゲの申し出にも取り合わない。


このとき舞台は暗転し、岩の裂け目からエルダが登場する。エルダはヴォータンに、呪いを避けて指環を手放すよう警告し、世界の終末が迫っていると告げる。ヴォータンは指環を巨人たちに渡し、フライアを解放させる。財宝をすべて手に入れた巨人の兄弟は、その取り分をめぐって争い始め、ファーフナーはファーゾルトを棍棒で打ち殺す。アルベリヒの呪いが早くも現れたことに衝撃を受けるヴォータン。ドンナーがハンマーを振るって雲を呼び集め、雷を起こす。これより「ヴァルハラ城への神々の入城」の音楽。フローが神々の城に虹の橋を架ける。ヴォータンは城に「ヴァルハル」と名付ける。「剣の動機」がトランペットで現れ、英雄の登場を予告する。虹の橋を渡って神々は入城してゆく。残ったローゲは、神々の没落を見通し、炎となってすべてを焼き尽くしてしまおうと独白する。ラインの娘たちの嘆く歌が谷底から聞こえてくる。「ヴァルハルの動機」や「虹の動機」による、壮大で圧倒的な音楽による幕切れ。

プログラムとキャスト

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ウィーン国立歌劇場

 

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歴史


ウィーン国立歌劇場はウィーン造形アカデミーの建築家アウグスト・シカート・フォン・ジッカルツブルクとエドゥアルト・ファン・デア・ニルが共作で設計し、1869年5月25日、当時の皇帝フランツ·ヨーゼフと皇后エリザベートの存在下で、モーツァルトの「ドン・ジョバンニ」により盛大にこけら落としが行われました。

 

フランツ·フォン·ディンゲルシュテット(劇場支配人・詩人)、ヨハン・ヘルベック(指揮者・作曲家)、フランツ・ヤウナー(演出家・劇場支配人)、ヴィルヘルム・ヤーン(指揮者)などの芸術的影響を受け、オペラ座の人気は益々高まっていきました。1897年に総監督となったグスタフ・マーラーは、古い上演システムを改新し、新しい舞台芸術を取り入れ、新世代歌手を積極的に起用するなどの第一次改革を行い、その後後継者たちにも引き継がれていきました。

又、マーラーはそれまでオペレッタを上演しなかったオペラ座にヨハン・シュトラウスの「こうもり」を正式なレパートリーとしました。

 

20世紀になると、総監督のリヒャルト・シュトラウスの「ナクソス島のアリアドネ」(1916年10月4日)や「影のない女」(1919年10月10日)の初演が行われます。

 

第二次世界大戦中、1938年から1945年年間はオペラ座暗い時代を迎えます。ナチスの下で多くの団員が追放・殺害され、様々な作品が上演禁止になりました。

1945年3月12日、連合軍の爆撃により舞台は破壊され、建物は火災に遭います。その後、ウィーン・フォルクスオーパーやアン・デア・テアーターウィーン劇場が仮の拠点となり、1955年11月5日カール・ベームによる「フィディオ」の上演で再開を果たします。

1956年に芸術監督に就任したヘルベルト・フォン・カラヤンはイタリア語やその他の外国語作品もドイツ語による上演を行ってきたそれまでの慣例を破り、原語上演の方針を導入し、これはその後ドイツその他の大劇場にも波及しました。

 

今日ウィーン国立歌劇場は、多大なレパートリーが故世界で最も重要なオペラ座の一つとみなされています。

 

2010年9月1日以来、音楽監督はフランツウェルザー=メスト、音楽総監督はドミニクマイヤー。

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