エレクトラ ウィーンオペラ
DEC 2023 | ||||||
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エレクトラ
作曲:リヒャルト・シュトラウス
初演:1909年 1月25年、宮廷劇場(ドレスデン)
設定:トロイ戦争後の古代、ギリシャのミケーネ
あらすじ
全1幕
エレクトラはアガメムノーン王とクリテムネストラの娘であったが、王がトロイに遠征中にエギストと不倫関係になる。二人は王の帰還後に共謀して王を殺してしまう。
ミケネー宮の中庭、夕暮れ。
短い前奏で幕が上がると、エレクトラが母と情夫エギストの死骸の上で踊ることを願っている。妹のクリソテミスが来て、人々がエレクトラの不穏な挙動に気づき幽閉しようとしていると伝える。そこに良心の呵責に悩み、毎夜悪夢にうなされやつれた母親が現れる。迷信深い母は様々な魔術を試みたが効果がなく、最後の助けとしてエレクトラの秘法を聞き出そうとする。その悪夢の原因を知っているエレクトラは、人間の女が犠牲になれば解決するだろう、そして父アガメムノンが殺された斧が、何時の日か母クリテムネストラの頭上に振るわれると予言し母を戦慄させる。腹心の侍女が現れ、母親は急いで戻る。妹のクリソテミスがやって来て、弟のオレストの死を告げる。エレクトラは共に復讐を…と妹に協力を求めるが、妹は恐れおののき逃げ去る。一人復讐の決意を固めたエレクトラは、戸口の側の地面を掘り始める。そこに男が現れるが、それこそ死んだと思っていたオレストだった。狂喜するエレクトラ。オレストは召使と共に宮殿に入っていく。エレクトラは斧を渡し損ね案じている。やがて宮殿からクリテムネストラの叫び声が聞こえる。妹のクリソテミスや下女と共に、エギストも現れる。エレクトラは松明をかざし、エギストを宮殿に導く。助けを求めるエギストの声。エギストとその部下は倒される。復讐が成就され、エレクトラは狂喜乱舞しその場に倒れる。「オレスト!オレスト!」と叫ぶ、妹クリソテミスの声が響き幕となる。
プログラムとキャスト
<スタッフ・キャスト>
指揮:Alexander Soddy
演出:Harry Kupfer
場面稽古:Angela Brandt
舞台:Hans Schavernoch
衣装:Reinhard Heinrich
クリテムネストラ:Michaela Schuster
エレクトラ:Christine Goerke
クリソテミス:Camilla Nylund
エギスト:Thomas Ebenstein
オレスト:Günther Groissböck
他
*出演者等は変更となる可能性があります*
ウィーン国立歌劇場
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連絡先
住所:Wohllebengasse 6/2,
1040, Wien
電話:+43 19688622
メール : office@vienna-concert.com
公共交通機関
地下鉄: U1、U2 、 U4
トラム: 1 、 2、D 、62
バス: 59A
停車駅:カールスプラッツ/オペラ Karlsplatz/Oper
タクシースタンドが近くにあります。又、公演終了時にはタクシーが劇場前に待機しています。ホテルまでのお帰りがご心配な方にはタクシーのご利用をお勧めします。
歴史
ウィーン国立歌劇場はウィーン造形アカデミーの建築家アウグスト・シカート・フォン・ジッカルツブルクとエドゥアルト・ファン・デア・ニルが共作で設計し、1869年5月25日、当時の皇帝フランツ·ヨーゼフと皇后エリザベートの存在下で、モーツァルトの「ドン・ジョバンニ」により盛大にこけら落としが行われました。
フランツ·フォン·ディンゲルシュテット(劇場支配人・詩人)、ヨハン・ヘルベック(指揮者・作曲家)、フランツ・ヤウナー(演出家・劇場支配人)、ヴィルヘルム・ヤーン(指揮者)などの芸術的影響を受け、オペラ座の人気は益々高まっていきました。1897年に総監督となったグスタフ・マーラーは、古い上演システムを改新し、新しい舞台芸術を取り入れ、新世代歌手を積極的に起用するなどの第一次改革を行い、その後後継者たちにも引き継がれていきました。
又、マーラーはそれまでオペレッタを上演しなかったオペラ座にヨハン・シュトラウスの「こうもり」を正式なレパートリーとしました。
20世紀になると、総監督のリヒャルト・シュトラウスの「ナクソス島のアリアドネ」(1916年10月4日)や「影のない女」(1919年10月10日)の初演が行われます。
第二次世界大戦中、1938年から1945年年間はオペラ座暗い時代を迎えます。ナチスの下で多くの団員が追放・殺害され、様々な作品が上演禁止になりました。
1945年3月12日、連合軍の爆撃により舞台は破壊され、建物は火災に遭います。その後、ウィーン・フォルクスオーパーやアン・デア・テアーターウィーン劇場が仮の拠点となり、1955年11月5日カール・ベームによる「フィディオ」の上演で再開を果たします。
1956年に芸術監督に就任したヘルベルト・フォン・カラヤンはイタリア語やその他の外国語作品もドイツ語による上演を行ってきたそれまでの慣例を破り、原語上演の方針を導入し、これはその後ドイツその他の大劇場にも波及しました。
今日ウィーン国立歌劇場は、多大なレパートリーが故世界で最も重要なオペラ座の一つとみなされています。
2010年9月1日以来、音楽監督はフランツウェルザー=メスト、音楽総監督はドミニクマイヤー。