エフゲニー・オネーギン ウィーンオペラ
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エフゲニー・オネーギン Evgeny Onegin
作曲:ピョートル・チャイコフスキー
台本:作曲者&コンスタンチン・シロフスキー(ロシア語)
初演:1879年3月29日モスクワ・マールイ劇場
あらすじ
第1幕
第1場:ラーリン家の庭
1820年ごろのロシアの辺境の農村。この地の女地主ラーリナ夫人には2人の娘がいる。姉のタチアーナは物静かな読書好き、妹のオリガは陽気な社交家だ。屋敷の庭に置いたテーブルでジャム作りに勤しむラーリナと乳母のフィリピエヴナの耳に、2人の娘たちの歌声が届いている。そこへラーリン家の領地内に住む農民たちが歌を歌いながら野良仕事から帰って来て、ラーリナに飾った麦の束を捧げ、感謝の言葉を述べる。喜んだラーリナが彼らに休むように言うと、農夫たちは歌い踊り始める。やがてラーリン家と親しいレンスキーが、新たに隣の屋敷に住むことになったオネーギンとともに現れる。かねてから恋人同士だったレンスキーとオリガは会えた事を喜び合う。タチアーナはオネーギンを一目見るなり運命の人が現れたと感じ、恋におちてしまう。オネーギンはタチアーナに興味を示して話しかける。フィリピエヴナはタチアーナの様子から、彼女の気持ちに気づく。
第2場:タチアーナの寝室
寝る時間となっても、タチアーナは興奮してとても寝付くことができない。フィリピエヴナに若いころの恋愛体験を聞かせてくれとせがむが、フィリピエヴナが語るのは恋愛とは無縁の古臭い嫁入りの思い出話ばかりで、タチアーナは興味が持てない。フィリピエヴナが立ち去った後、タチアーナはオネーギンへの思いを手紙にしたためはじめる(アリア『私は死んでもいいの』 - 「手紙の場」として有名な名場面)。はじめこそ書きあぐねるものの、やがて一気に情熱的に書き上げる。そして朝。現れたフィリピエヴナに、タチアーナは孫を通じて手紙をオネーギンに渡してくれるように頼む。
第3場:ラーリン家の庭の一隅
庭の茂みの向こうから農民の娘たちの歌声が聞こえている。自分の手紙を読んでオネーギンはどう思っただろうか、と考えているタチアーナの前に、出し抜けにオネーギンが現れ、彼女を動揺させる。オネーギンは手紙をくれたことに一応の礼を述べるものの、自分は家庭生活に向かない人間であり、タチアーナのことも妹のようにしか思えない、と告げ、あなたは自分を律することを学ぶべきだ、とも諭す。冒頭の娘たちの合唱が再度聞こえてくる。
第2幕
第1場:ラーリン家の広間
それから数ヵ月後のラーリン家の広間。タチアーナの「聖名祝日」の宴が開かれている。ラーリナ夫人が招いた近隣の地主とその家族、縁者たちが、軍楽隊の生演奏とふるまわれた料理を楽しんでいるが、そうした光景もオネーギンには田舎くさくて無粋なものと感じられ楽しめない。オネーギンは自分をこの会に誘ったレンスキーへの腹いせに、オリガをダンスのパートナーに指名し、レンスキーの不興を買う。やがてフランス人のトリケが現れ、タチアーナの美しさを讃える歌を披露し、一同はそれにやんやの喝采を浴びせるが、なおもオネーギンの機嫌は直らず、レンスキーがオリガと踊る約束をしていたコティヨンまでオリガと踊ろうとする。激高したレンスキーは激しい言葉でオネーギンを罵り、決闘を申し込む。オネーギンは申し出に応じ、一同は騒然とし、タチアーナとオリガは泣き崩れる。
第2場:水車小屋・冬の早朝
決闘の場所とされた早朝の水車小屋。レンスキーは自らが連れてきた立会人のザレツキーと共にオネーギンが現れるのを待っているが、約束の時間となっても彼は姿を現さない。レンスキーは人生とオリガへの未練を吐露する。やがてオネーギンが立会人のギヨーと共に姿を見せる。オネーギンとレンスキーはここに至ったいきさつに後悔の念を覚えながらも、促されるままにピストルを手に向かい合って立つ。銃声が響き、レンスキーが倒れる。ザレツキーがレンスキーの死を確認すると、オネーギンは恐怖のあまりその場にうずくまる。
第3幕
第1場:サンクトペテルブルクの大舞踏会
それから数年後のサンクトペテルブルクのある貴族の邸宅での舞踏会。オネーギンは決闘の後の数年間を外国での放浪生活のうちに過ごし、その後帰国してこの舞踏会に顔を出したのだったが、未だレンスキーを死なせたことへの呵責の念に苛まれており、心満たされぬ日々を過ごしていた。洗練された、上品ないでたちの客たちはポロネーズ(を踊り、それを終えるやそこここにいくつもの話の輪を作るが、場に馴染めぬオネーギンは一人でいる。やがてグレーミン公爵が夫人を伴って姿を現す。一同は夫人の美しさに目を奪われ、口々に彼女を讃えている。オネーギンは程なく公爵夫人がタチアーナであることに気づき、タチアーナも客がたたいている陰口からオネーギンの存在に気づく。オネーギンがグレーミンに彼女との間柄について問うと、タチアーナは自分の妻であり、自分の寂しい日々に光を投げかけた大切な存在だと、グレーミンは語る。オネーギンはグレーミンによってタチアーナに紹介される。かつての彼女からは想像もつかない、気品に満ちたタチアーナの様子に、オネーギンはたちまちに惹かれてしまう。
第2場:グレーミン公爵邸の一室
部屋着姿のタチアーナがオネーギンから手渡された恋文を手に困惑していると、オネーギンが入って来る。あなたはかつて自分を拒絶しておきながら、なぜ今になってこのようなことを、目的は財産か名声か、とオネーギンを非難し、自分はすでに結婚した身だ、とオネーギンを拒むタチアーナ。しかしオネーギンはなおもタチアーナの手を握り、抱きしめようとする。タチアーナはいっそう強い調子でオネーギンを拒絶し、部屋を後にする。一人残されたオネーギンは呆然と立ち尽くす。
プログラムとキャスト
<スタッフ・キャスト>
指揮:Lothar Koenigs
演出&舞台:Dmitri Tcherniakov
衣装:Maria Danilova
照明:Gleb Filshtinsky
衣装助手:Elena Zaytseva
ラーリナ:Elena Manistina
タチアーナ:Ruzan Mantashyan
オルガ:Daria Sushkova
エフゲニー・オネーギン:Boris Pinkhasovich
レンスキー:Bogdan Volkov
グレーミン:Ilja Kazakov
他
*出演者等は変更となる可能性があります*
ウィーン国立歌劇場
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その他、ヨーロッパ内(パリ、ミュンヘン、ミラノその他)のオペラ、コンサートのチケットも確実のに手配いたします。
ご予約いただいたチケットはEチケットとなります。もしもEチケットが届かない場合は、メールでお知らせください。
又、ウィーンで開催されるクラシックコンサートは勿論、ご希望であればオペラ座近くのホテルやレストランのご予約も可能です。
連絡先
住所:Wohllebengasse 6/2,
1040, Wien
電話:+43 19688622
メール : office@vienna-concert.com
公共交通機関
地下鉄: U1、U2 、 U4
トラム: 1 、 2、D 、62
バス: 59A
停車駅:カールスプラッツ/オペラ Karlsplatz/Oper
タクシースタンドが近くにあります。又、公演終了時にはタクシーが劇場前に待機しています。ホテルまでのお帰りがご心配な方にはタクシーのご利用をお勧めします。
歴史
ウィーン国立歌劇場はウィーン造形アカデミーの建築家アウグスト・シカート・フォン・ジッカルツブルクとエドゥアルト・ファン・デア・ニルが共作で設計し、1869年5月25日、当時の皇帝フランツ·ヨーゼフと皇后エリザベートの存在下で、モーツァルトの「ドン・ジョバンニ」により盛大にこけら落としが行われました。
フランツ·フォン·ディンゲルシュテット(劇場支配人・詩人)、ヨハン・ヘルベック(指揮者・作曲家)、フランツ・ヤウナー(演出家・劇場支配人)、ヴィルヘルム・ヤーン(指揮者)などの芸術的影響を受け、オペラ座の人気は益々高まっていきました。1897年に総監督となったグスタフ・マーラーは、古い上演システムを改新し、新しい舞台芸術を取り入れ、新世代歌手を積極的に起用するなどの第一次改革を行い、その後後継者たちにも引き継がれていきました。
又、マーラーはそれまでオペレッタを上演しなかったオペラ座にヨハン・シュトラウスの「こうもり」を正式なレパートリーとしました。
20世紀になると、総監督のリヒャルト・シュトラウスの「ナクソス島のアリアドネ」(1916年10月4日)や「影のない女」(1919年10月10日)の初演が行われます。
第二次世界大戦中、1938年から1945年年間はオペラ座暗い時代を迎えます。ナチスの下で多くの団員が追放・殺害され、様々な作品が上演禁止になりました。
1945年3月12日、連合軍の爆撃により舞台は破壊され、建物は火災に遭います。その後、ウィーン・フォルクスオーパーやアン・デア・テアーターウィーン劇場が仮の拠点となり、1955年11月5日カール・ベームによる「フィディオ」の上演で再開を果たします。
1956年に芸術監督に就任したヘルベルト・フォン・カラヤンはイタリア語やその他の外国語作品もドイツ語による上演を行ってきたそれまでの慣例を破り、原語上演の方針を導入し、これはその後ドイツその他の大劇場にも波及しました。
今日ウィーン国立歌劇場は、多大なレパートリーが故世界で最も重要なオペラ座の一つとみなされています。
2010年9月1日以来、音楽監督はフランツウェルザー=メスト、音楽総監督はドミニクマイヤー。