ピーター・グライムズ  ウィーンオペラ

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JAN 2022 Next

ピーター・グライムズ Peter Grimes

 

作曲:ベンジャミン・ブリテン

台本:モンタギュー・スレイター(英語)

原作:ジョージ・クラッブの長編詩「自治町村」の中の詩「ピーター・グライムズ」

初演:1945年6月7日 サドラーズ・ウェルズ劇場(ロンドン)

 

あらすじ

 

プロローグ

漁師のピーター・グライムズは、彼の徒弟の死に関する裁判を受ける。町の人々は、明らかにグライムズが有罪であり、罰を受けるに値すると考えている。しかし検視官のスワロー氏は、少年の死は事故であると裁定する。証拠不十分ゆえだが、無罪の厳密な考証はなされず、スワロー氏は、グライムズに別の徒弟をとることのないよう助言する。裁判が終わるとグライムズは、町の人々が自分に名誉回復の機会を与えようとしないのを見て憤慨し、女性教師のエレン・オーフォードが彼を慰める。

 

第1幕

「町」を構成する合唱隊が、自分たちの退屈な日々と、海や季節との関わりを歌う。グライムズは漁のためにどうしても助けが必要だと主張し、友人である薬屋のネッド・キーンは、彼のために感化院から新しい徒弟を見つけ出す。その少年を呼んでこようと志願する人物は誰もいなかったが、やがてエレンがその役を買って出る。

その晩、エレンが酒場にいるグライムズの元へ新たな徒弟のジョンを連れてくると、町の人々の険悪な視線も意に介さず、彼はすぐに自分の丸太小屋へ出発する。グライムズの望みは金を稼いで町の人々を見返し、エレンと結婚することだった。

 

第2幕

日曜日の朝、町の住人のほとんどが教会に集まっているとき、エレンは徒弟のジョンと話している。彼女はジョンの首に打たれた傷があるのを見ておののく。彼女がグライムズを追及すると、彼は無愛想にそれは事故だったと言う。エレンの干渉にいらだったグライムズは、彼女を殴ってジョンとともに走り去る。このことはすぐに発覚する。最初にキーンとおばさん、そしてボブ・ボウルズが、さらには合唱隊全体が群衆化してグライムズの丸太小屋を調べに行くことになる。男たちが歩き去ると、エレン、おばさんと姪たちが、女性の男性に対する関わりを悲しげに歌う。

丸太小屋ではグライムズが、日頃は寡黙なジョンがエレンと「話した」ことを責め、亡くなったかつての徒弟の思い出に耽り、彼がのどの渇きによって死んだことを思い起こす。町の群衆が近づいてくるのを耳にすると彼はすぐ我に返り、海へ出る準備をする。彼はジョンに、注意して裏の崖からボートへ這い降りるように言うが、ジョンは滑落し、海中に没する。群衆が丸太小屋に着いたときにはグライムズは去っており、特に異常なものは見つからなかったため、彼らは解散する。

 

第3幕

町の夜。ダンスが行われている最中、セドリー夫人が権威者達にグライムズが人殺しだと納得させようとするが、うまくいかない。エレンとボルストロード大将は互いに秘密を明かす。グライムズは海で何日も過ごした後に帰還し、ボルストロードは海岸で波に洗われているジャージを発見したのである。エレンはそのジャージが、自分がジョンのために編んだものだと確認する。セドリー夫人はこの話を立ち聞きし、群衆を煽り立てる。「私たちを蔑む彼を私たちは倒す」と歌いながら、人々はグライムズを探しに出て行く。

グライムズを探す群衆の声がまだ聞こえている頃、グライムズが舞台上に姿を現し、狂おしく長いモノローグを歌う。エレンとボルストロードが彼を見つけ、年老いた大将はグライムズを勇気づけ、彼のボートが発見される前に、海に沈めるよう助言する。絶望と孤独に打ちのめされて立ち去るグライムズ。翌朝、町に新しい日が始まる。沿岸警備隊から、沖合で沈没するボートが遠目に目撃されたと報告がある。このことは、おばさんによって「ただのうわさ話の一つ」として忘れ去られる。

プログラムとキャスト

ウィーン国立歌劇場

 

EUROPERA Ticketではウィーン国立歌劇場のチケットのご予約を承ります。

ご予約いただいたチケットは劇場、又はオペラ座すぐ隣に我々のオフィスでお受け取り頂けます。

又、ウィーンで開催されるクラシックコンサートは勿論、ご希望であればオペラ座近くのホテルやレストランのご予約も可能です。

連絡先

住所:Operring 4, A-1010, Wien

電話:+43 19688622

メール  : office@vienna-concert.com 

 

 

公共交通機関

地下鉄: U1、U2 、 U4
トラム: 1 、 2、D 、62 
バス: 59A
停車駅:カールスプラッツ/オペラ Karlsplatz/Oper
タクシースタンドが近くにあります。又、公演終了時にはタクシーが劇場前に待機しています。ホテルまでのお帰りがご心配な方にはタクシーのご利用をお勧めします。



歴史


ウィーン国立歌劇場はウィーン造形アカデミーの建築家アウグスト・シカート・フォン・ジッカルツブルクとエドゥアルト・ファン・デア・ニルが共作で設計し、1869年5月25日、当時の皇帝フランツ·ヨーゼフと皇后エリザベートの存在下で、モーツァルトの「ドン・ジョバンニ」により盛大にこけら落としが行われました。

 

フランツ·フォン·ディンゲルシュテット(劇場支配人・詩人)、ヨハン・ヘルベック(指揮者・作曲家)、フランツ・ヤウナー(演出家・劇場支配人)、ヴィルヘルム・ヤーン(指揮者)などの芸術的影響を受け、オペラ座の人気は益々高まっていきました。1897年に総監督となったグスタフ・マーラーは、古い上演システムを改新し、新しい舞台芸術を取り入れ、新世代歌手を積極的に起用するなどの第一次改革を行い、その後後継者たちにも引き継がれていきました。

又、マーラーはそれまでオペレッタを上演しなかったオペラ座にヨハン・シュトラウスの「こうもり」を正式なレパートリーとしました。

 

20世紀になると、総監督のリヒャルト・シュトラウスの「ナクソス島のアリアドネ」(1916年10月4日)や「影のない女」(1919年10月10日)の初演が行われます。

 

第二次世界大戦中、1938年から1945年年間はオペラ座暗い時代を迎えます。ナチスの下で多くの団員が追放・殺害され、様々な作品が上演禁止になりました。

1945年3月12日、連合軍の爆撃により舞台は破壊され、建物は火災に遭います。その後、ウィーン・フォルクスオーパーやアン・デア・テアーターウィーン劇場が仮の拠点となり、1955年11月5日カール・ベームによる「フィディオ」の上演で再開を果たします。

1956年に芸術監督に就任したヘルベルト・フォン・カラヤンはイタリア語やその他の外国語作品もドイツ語による上演を行ってきたそれまでの慣例を破り、原語上演の方針を導入し、これはその後ドイツその他の大劇場にも波及しました。

 

今日ウィーン国立歌劇場は、多大なレパートリーが故世界で最も重要なオペラ座の一つとみなされています。

 

2010年9月1日以来、音楽監督はフランツウェルザー=メスト、音楽総監督はドミニクマイヤー。

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