サロメ ウィーンオペラ
APR 2023 | ||||||
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サロメ
作曲:リヒャルト・シュトラウス
初演:1905年12月9日 ドレスデン、宮廷歌劇場
台本:ヘドヴィヒ・ラッハマンの訳を作曲者が改編(ドイツ語)
原作:オスカー・ワイルドの戯曲「サロメ」(新約聖書マタイ伝14章、マルコ伝6章より)
時と場所:紀元30年頃。シリアのヘローデスの宮殿。
全1幕
第1場
夏の月夜のこと。ヘローデス王の饗宴が繰り広げられる中、外のテラスから衛兵隊長ナラボートが「王女サロメはなんと美しい」と見とれる。そんなナラボートに恋心を持つ小姓は不安になったりたしなめたりする。サロメは王の異母兄弟の妻だった現王妃ヘローディアスの連れ子だった。そのとき突然地下の古井戸から救世主到来を予言する予言者ヨハナーンの警告が響く。
第2場
サロメは義父ヘローデスの執拗な眼差しを避けてテラスに出た。それをナラボートがいたわる。すると再びヨハナーンの声が。一目会いたいと思うサロメは兵士達にヨハナーンを連れ出すことを命じるが聞き入れられない。そこで自分に心を寄せるナラボートに連れてくるよう命令する。はじめは断ったものの兵卒に命じてヨハナーンを井戸から曳き出させる。
第3場
予言者ヨハナーンが古井戸から現れ、ヘローデスとヘローディアスの不義不貞を強く責める。サロメはその言葉にたじろぐがすぐにその不思議な魅力にとらわれ「もっと近づきたい」と身をくねらせる。ヨハナーンにしりぞけられると「私はサロメ、ヘローディアスの娘、ユダヤの女王よ」と言う。ますます拒絶する彼に「おまえの口に接吻したい」と言って情欲を高ぶらせる。ナボラートは絶望し自刃し果てる。ヨハナーンは「不倫の母の娘よ、呪いあれ」と言って古井戸に戻る。
第4場
王はそこに流れていたナラボートの血に不吉な予感を感じる。それでもサロメに対する情欲から、王はサロメを近づけて自分を慰めようとする。が、サロメは聞き入れず王妃はサロメに近づけまいとする。再びヘローデスとヘローディアスの不倫の行為を責め、やがて不詳な事件の起こることを予言するヨハナーンの声。「黙らせて」と叫ぶ王妃。不安を紛らわすためにサロメになんでも欲しいものを与えるという約束で7枚のヴェールを1枚ずつはがしていく踊りを踊らせた。そしてサロメは銀の盆にのったヨハナーンの首を望んだ。初めは断り宝石等を与えようと言ったが聞かず、王も諦めてサロメの求めに応じる。そしてナーマンにヨハナーンの首を取らせる。これを受け取ったサロメは陶酔しながら「今こそおまえの首に接吻を」と狂乱のモノローグを繰り広げヨハナーンの首に接吻する。たえかねた王の命令で兵士達がサロメを殺す。(幕)
プログラムとキャスト
<スタッフ・キャスト>
指揮:Philippe Jordan
演出:Cyril Teste
舞台:Valérie Grall
衣装:Marie La Rocca
照明:Julien Boizard
ビデオ:Mehdi Toutain-Lopez
ビデオ・ライブカメラ:Rémy Nguyen
振付:Magdalena Chowaniec
ヘロデ:Gerhard Siegel
ヘロディアス:Michaela Schuster
サロメ:Malin Byström
ヨカナーン:Iain Paterson
ナラボート:Daniel Jenz
第1ユダヤ人:Thomas Ebenstein
第2ユダヤ人:Andrea Giovannini
第3ユダヤ人:Carlos Osuna
第4ユダヤ人:Robert Bartneck
第5ユダヤ人:Evgeny Solodovnikov
他
ウィーン国立歌劇場
RM Europa Ticketではウィーン国立歌劇場のチケットのご予約を承ります。
その他、ヨーロッパ内(パリ、ミュンヘン、ミラノその他)のオペラ、コンサートのチケットも確実のに手配いたします。
ご予約いただいたチケットはEチケットとなります。もしもEチケットが届かない場合は、メールでお知らせください。
又、ウィーンで開催されるクラシックコンサートは勿論、ご希望であればオペラ座近くのホテルやレストランのご予約も可能です。
連絡先
住所:Wohllebengasse 6/2,
1040, Wien
電話:+43 19688622
メール : office@vienna-concert.com
公共交通機関
地下鉄: U1、U2 、 U4
トラム: 1 、 2、D 、62
バス: 59A
停車駅:カールスプラッツ/オペラ Karlsplatz/Oper
タクシースタンドが近くにあります。又、公演終了時にはタクシーが劇場前に待機しています。ホテルまでのお帰りがご心配な方にはタクシーのご利用をお勧めします。
歴史
ウィーン国立歌劇場はウィーン造形アカデミーの建築家アウグスト・シカート・フォン・ジッカルツブルクとエドゥアルト・ファン・デア・ニルが共作で設計し、1869年5月25日、当時の皇帝フランツ·ヨーゼフと皇后エリザベートの存在下で、モーツァルトの「ドン・ジョバンニ」により盛大にこけら落としが行われました。
フランツ·フォン·ディンゲルシュテット(劇場支配人・詩人)、ヨハン・ヘルベック(指揮者・作曲家)、フランツ・ヤウナー(演出家・劇場支配人)、ヴィルヘルム・ヤーン(指揮者)などの芸術的影響を受け、オペラ座の人気は益々高まっていきました。1897年に総監督となったグスタフ・マーラーは、古い上演システムを改新し、新しい舞台芸術を取り入れ、新世代歌手を積極的に起用するなどの第一次改革を行い、その後後継者たちにも引き継がれていきました。
又、マーラーはそれまでオペレッタを上演しなかったオペラ座にヨハン・シュトラウスの「こうもり」を正式なレパートリーとしました。
20世紀になると、総監督のリヒャルト・シュトラウスの「ナクソス島のアリアドネ」(1916年10月4日)や「影のない女」(1919年10月10日)の初演が行われます。
第二次世界大戦中、1938年から1945年年間はオペラ座暗い時代を迎えます。ナチスの下で多くの団員が追放・殺害され、様々な作品が上演禁止になりました。
1945年3月12日、連合軍の爆撃により舞台は破壊され、建物は火災に遭います。その後、ウィーン・フォルクスオーパーやアン・デア・テアーターウィーン劇場が仮の拠点となり、1955年11月5日カール・ベームによる「フィディオ」の上演で再開を果たします。
1956年に芸術監督に就任したヘルベルト・フォン・カラヤンはイタリア語やその他の外国語作品もドイツ語による上演を行ってきたそれまでの慣例を破り、原語上演の方針を導入し、これはその後ドイツその他の大劇場にも波及しました。
今日ウィーン国立歌劇場は、多大なレパートリーが故世界で最も重要なオペラ座の一つとみなされています。
2010年9月1日以来、音楽監督はフランツウェルザー=メスト、音楽総監督はドミニクマイヤー。