ボリス・ゴドゥノフ ウィーンオペラ

チケットを購入する
MAY 2022

ボリス・ゴドゥノフ Boris Godunov

 

作曲&台本(ロシア語):モデスト・ムソルグスキー

初演:1874年1月24日ペテルブルク・マリンスキー劇場

 

あらすじ

 

時と場所:1598年~1605年。ロシアおよびポーランド

 

プロローグ

モスクワ近郊ノヴォテジェヴィチ修道院の裏庭に人々が集まって来ている。ボリスを新皇帝にと望む民衆の声。しばらくしてボリスが帝位に就いた知らせがある。人々の歓呼の中、ボリスはひとり呵責に苦しむかのような「わが魂は悲しむ」というモノローグを歌う。

 

第1幕

深夜、ロシアの歴史を書き綴ってきたピメンは、ボリスがドミトリーを暗殺した箇所で筆を休め、心のただならぬのを覚えてモノローグを歌う。グレゴリーが眼を覚まし今見たいやな夢について語る。ここでグレゴリーはピメンの口から、現皇帝ボリス・ゴドゥノフがいかにして帝位を奪ったかを知らされる。暗殺されたドミトリーが生きていればグレゴリーと同年だった。二人の破戒僧を道連れにリトアニアとの国境近くまで逃げ出したグレゴリー。突然宿に飛び込んできた役人に皇帝からの逮捕状を示されあやうく逃げる。

 

第2幕

婚約者を失って悲しむボリスの娘クセーニャ。乳母はこれを慰めて「蚊の歌」を歌う。クセーニャの弟フョードルも手拍子で愉快な歌で加わる。そこへボリスが登場して娘をいたわり地図を見ながらフョードルに「この広いロシア全土がやがてお前のものになる」と語る。そして「私は最高権力を握ったが」と歌い、自ら犯した罪に苦しむ。そこへシェイスキー公が杯ってきて死んだはずのドミトリーと名乗る男が現れポーランドの支援を得てリトアニアの国境に迫っていると知らせる。これを聞いて愕然とするボリス。彼は胸の苦しみにもだえつつドミトリーの幻影におびえながら神に許しを乞う。

第3幕
ポーランド貴族の娘マリーナは偽のドミトリーすなわちグレゴリーをペテン師と知って婚約し、ロシア皇帝妃となることを夢見る。そこへランゴーニが現れてマリーナに対しドミトリーをカトリックに改宗させよと迫る。偽ドミトリーはマリーナへの想いを歌い彼女を待っているとランゴーニが館から出てきて改宗を促す。二人の激しいやりとりののち偽ドミトリーは改宗する。

 

第4幕

民衆はモスクワに攻め上がってくるドミトリー皇子の噂とボリスへの不満ばかり。聖堂から出てきたボリスに白痴(苦行僧)が非難の言葉を投げつける。大広間で貴族達が反乱に対する会議を開いている。そこへシェイスキー公が入ってきてボリスが錯乱状態と告げる。しかしその言葉が終わらないうちにボリス自身が部屋に現れ、とりとめもないことを言う。彼は苦悩の中に息子フョードルを呼び「ボリスの別れ」を歌い死んでしまう。森の中で農民達がボリス配下の貴族をなぶり、皇帝ドミトリーを救いたまえと歌う「重唱と合唱」。ドミトリーになりすましたグレゴリーはここでわれこそ全ロシアの皇帝であると宣言し一同の歓呼の中にモスクワへ出発していく。

プログラムとキャスト

ウィーン国立歌劇場

 

EUROPERA Ticketではウィーン国立歌劇場のチケットのご予約を承ります。

ご予約いただいたチケットは劇場、又はオペラ座すぐ隣に我々のオフィスでお受け取り頂けます。

又、ウィーンで開催されるクラシックコンサートは勿論、ご希望であればオペラ座近くのホテルやレストランのご予約も可能です。

連絡先

住所:Operring 4, A-1010, Wien

電話:+43 19688622

メール  : office@vienna-concert.com 

 

 

公共交通機関

地下鉄: U1、U2 、 U4
トラム: 1 、 2、D 、62 
バス: 59A
停車駅:カールスプラッツ/オペラ Karlsplatz/Oper
タクシースタンドが近くにあります。又、公演終了時にはタクシーが劇場前に待機しています。ホテルまでのお帰りがご心配な方にはタクシーのご利用をお勧めします。



歴史


ウィーン国立歌劇場はウィーン造形アカデミーの建築家アウグスト・シカート・フォン・ジッカルツブルクとエドゥアルト・ファン・デア・ニルが共作で設計し、1869年5月25日、当時の皇帝フランツ·ヨーゼフと皇后エリザベートの存在下で、モーツァルトの「ドン・ジョバンニ」により盛大にこけら落としが行われました。

 

フランツ·フォン·ディンゲルシュテット(劇場支配人・詩人)、ヨハン・ヘルベック(指揮者・作曲家)、フランツ・ヤウナー(演出家・劇場支配人)、ヴィルヘルム・ヤーン(指揮者)などの芸術的影響を受け、オペラ座の人気は益々高まっていきました。1897年に総監督となったグスタフ・マーラーは、古い上演システムを改新し、新しい舞台芸術を取り入れ、新世代歌手を積極的に起用するなどの第一次改革を行い、その後後継者たちにも引き継がれていきました。

又、マーラーはそれまでオペレッタを上演しなかったオペラ座にヨハン・シュトラウスの「こうもり」を正式なレパートリーとしました。

 

20世紀になると、総監督のリヒャルト・シュトラウスの「ナクソス島のアリアドネ」(1916年10月4日)や「影のない女」(1919年10月10日)の初演が行われます。

 

第二次世界大戦中、1938年から1945年年間はオペラ座暗い時代を迎えます。ナチスの下で多くの団員が追放・殺害され、様々な作品が上演禁止になりました。

1945年3月12日、連合軍の爆撃により舞台は破壊され、建物は火災に遭います。その後、ウィーン・フォルクスオーパーやアン・デア・テアーターウィーン劇場が仮の拠点となり、1955年11月5日カール・ベームによる「フィディオ」の上演で再開を果たします。

1956年に芸術監督に就任したヘルベルト・フォン・カラヤンはイタリア語やその他の外国語作品もドイツ語による上演を行ってきたそれまでの慣例を破り、原語上演の方針を導入し、これはその後ドイツその他の大劇場にも波及しました。

 

今日ウィーン国立歌劇場は、多大なレパートリーが故世界で最も重要なオペラ座の一つとみなされています。

 

2010年9月1日以来、音楽監督はフランツウェルザー=メスト、音楽総監督はドミニクマイヤー。

© Bwag/Commons
©
類似したイベント