アンナ・ボレーナ(グルヴェローヴァ) ウィーンオペラ

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FEB 2022

あらすじ

時と場所:1536年 ロンドン及びウィンザー城、そしてロンドン塔

 

第1幕

第1場:夜、ウィンザー城の王妃の居室

宮廷の人々が、国王エンリーコがすでに王妃アンナを見捨て、新たな女性に夢中になっていることを噂をしている。そこへ、王妃が信頼する侍女であるジョヴァンナがやってくる。しかし、彼女こそ国王の新しい愛人である。自分を信頼する王妃を裏切っていくことに罪の意識をいだくジョヴァンナ。そこへアンナが現れる。沈む気持ちを慰めるために、小姓であるスメトンに歌を所望する。ひそかに王妃を愛するスメトンは、その気持ちを託して歌う。しかし、王妃は耐えきれなくなりそれを止める。王の心変わりと王妃としての栄華のはかなさを悲しむアンナ。夜明け近くなり、もはや国王が来ないと悟った彼女は、眠りに就くために退場する。ジョヴァンナ以外の人々も王妃に付き添う。1人残るジョヴァンナの元に国王エンリーコがやってくる。王は、アンナと離婚しジョヴァンナを王妃に迎えようとしている。王妃になれば、この世の栄華を共に分かち合えると囁く国王。それに対して、ジョヴァンナは、このような神に祝福されない関係を断ち切りたいと懇願する。王妃の元に戻るよう願うジョヴァンナに対しエンリーコは「アンナは余を裏切っていた」として、暗に婚姻の解消をほのめかす。王のたくらみを恐れるジョヴァンナだが、王を止めることはできない。

第2場:昼。ウィンザー城内の庭園

別々の方向から、ペルシーとアンナの弟ロシュフォールが登場する。ペルシーは、アンナのかつての恋人であったために、国王より追放され、亡命生活を送っていた。しかし、今度赦免されることになり、ウィンザー城へやってきたのだ。王がアンナから心変わりをしたことを噂で聞いたペルシーは、かつての恋人の身を案じる。彼は、まだアンナを愛し続けていることをロシュフォールに告白する。ロシュフォールは、そんな親友の身を案じる。狩りが始まる音が聞こえ、国王、そして王妃がやってくる。国王は、ペルシーに今度の赦免は王妃のとりなしであると囁く。喜ぶペルシーだが、国王の表情を見たアンナや宮廷の人々は国王が一体何を企んでいるのかと、不安がる。国王は、武官のエルヴェイに王妃やペルシー達を監視するよう、命じて狩りへ出発する。

第3場:ウィンザー城内のアンナの私室へ通じる控えの間

アンナの小姓スメトンは、密かに盗み出したアンナの肖像画を見つめ、アンナへの思いを歌う。スメトンは、盗んだ肖像画を返すつもりで、ここへ来ていた。しかし、人が来る気配がするので、カーテンの後ろに隠れる。そこへ、アンナとロシュフォールがやってくる。ロシュフォールは、アンナにペルシーに会うよう頼み込む。最初拒否したアンナだが、弟の頼みを断れず会うことにする。ペルシーは、アンナへの愛を告白する。二度と会わないと拒むアンナに、ペルシーは剣を抜いて自殺しようとする。驚いたスメトンがカーテンから現れる。あまりのことに気絶するアンナ。そこへ、国王の登場が告げられ一同は恐怖する。エンリーコがエルヴェイと廷臣たちを連れて現れる 。無実を訴えるアンナだったが、国王は「言いたいことは判事の前でするがよい」と冷酷に語り、衝撃を受けるアンナやほかの人々の逮捕を命じる。

 

第2幕

第1場:ロンドン。アンナが軟禁されている部屋へと続く控えの間

アンナの女官たちが、嘆いている。裁判を控え、神に祈るアンナの所へジョヴァンナが現れる。ジョヴァンナは、アンナに罪を自白すれば、王はアンナと離婚し命は助かります、と言う。しかし、アンナは名誉を失ってまで助かりたくはないという。ジョヴァンナは、「エンリーコの愛で玉座が約束されている哀れな女のためにも、それを薦める」と語る。怒るアンナは、その女に天罰をと呪いの言葉を浴びせる。アンナの激しい怒りに、ついにジョヴァンナは自分こそ、その女であると告白する。信頼していたジョヴァンナに裏切られたと知ったアンナは、怒りをぶつける。しかし、ジョヴァンナの「国王を愛したことを今や恥じている。私の愛は拷問です」と告白するのを聞き、「お前に罪は無い。悪いのはお前にそのような愛の炎を燃やした人にある」と語り、慈悲を与え、退出する。

第2場:アンナへの裁判が行われている法廷へと続く控えの間

裁判の成り行きを宮廷の人々が見守っている。人々は、スメトンが王妃との姦通を告白させられたと語り、この事件は国王の企みであり、結論はすでに用意されているのだと歌う。国王とエルヴェイが現れ、スメトンが上手く自白したと語る。そこへアンナとペルシーが衛兵に囲まれ、やってくる。アンナは、国王へ「王族としての名誉のために、法廷でさらし者にしないでくれ」と懇願する。しかし、エンリーコは聞き入れない。それどころか、スメトンと姦通を行ったではないかと侮辱する。あまりのことに怒る彼女は、「陛下こそ、スメトンを甘言に乗せて偽証をさせたのではないか」と反論する。ペルシーは、アンナを救うためにアンナと自分はすでに結婚しており、王との結婚は無効であると訴える。むろん、国王は聞く耳を持たず2人を引き立てるよう衛兵に命じる。ジョヴァンナが現れ、国王にアンナの赦免を願う。王は、ジョヴァンナに「王妃の座はお前のもの」と求婚するが、ジョヴァンナは拒む。そこへエルヴェイが判決を持ってやってくる。アンナは死罪、そして関係した人間もすべて連座することになる。アンナの赦免を求めるジョヴァンナだが、国王は聞き入れず退場する。

第3場:ロンドン塔

衛兵に付き添われ、ペルシーとロシュフォールがやってくる。そこへエルヴェイが現れ、国王が2人を赦免すると伝える。しかし、アンナが処刑されると知ったペルシーは、「罪のない彼女が死に、罪ある私が生きることを望むほど卑劣な男だと思うのか!」と叫び、赦免を拒否する。ペルシーは、君だけでも助かるべきだとロシュフォールにすすめる。しかし、ロシュフォールも死を選び、2人は衛兵に連行される。一方、アンナの牢獄では侍女たちがアンナがショックのあまり錯乱してしまったことを嘆いている。そこへ錯乱したアンナが現れる。錯乱した状態で過去を振り返り、歌う。人々が嘆き悲しんでいると、エルヴェイと衛兵たちがやってくる。アンナは正気を取り戻し、「何という時に正気に戻ったのだ!」と嘆く。エルヴェイ達によって、ロシュフォールとペルシー、そしてスメトンが連行されてくる。スメトンは、自分が国王の甘言に乗り、王妃と姦通したことを告白する。ペルシーとロシュフォールは怒る。しかし、アンナは「スメトン、ハープを引かないの?」と支離滅裂なことを語り、再び狂気に陥る。そこへ、祝砲や鐘の打ち鳴らす音が聞こえる。それを聞いて、正気に戻ったアンナは「あの音は何のためか」と聞く。それは、ジョヴァンナの戴冠を祝福するためのものである。それを聞いたアンナは、エンリーコとジョヴァンナを呪い、卒倒する。スメトン、ペルシー、ロシュフォールらを獄吏たちが刑場に引き出そうとする中、幕が降りる。

プログラムとキャスト

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ウィーン国立歌劇場

 

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又、ウィーンで開催されるクラシックコンサートは勿論、ご希望であればオペラ座近くのホテルやレストランのご予約も可能です。

連絡先

住所:Operring 4, A-1010, Wien

電話:+43 19688622

メール  : office@vienna-concert.com 

 

 

公共交通機関

地下鉄: U1、U2 、 U4
トラム: 1 、 2、D 、62 
バス: 59A
停車駅:カールスプラッツ/オペラ Karlsplatz/Oper
タクシースタンドが近くにあります。又、公演終了時にはタクシーが劇場前に待機しています。ホテルまでのお帰りがご心配な方にはタクシーのご利用をお勧めします。



歴史


ウィーン国立歌劇場はウィーン造形アカデミーの建築家アウグスト・シカート・フォン・ジッカルツブルクとエドゥアルト・ファン・デア・ニルが共作で設計し、1869年5月25日、当時の皇帝フランツ·ヨーゼフと皇后エリザベートの存在下で、モーツァルトの「ドン・ジョバンニ」により盛大にこけら落としが行われました。

 

フランツ·フォン·ディンゲルシュテット(劇場支配人・詩人)、ヨハン・ヘルベック(指揮者・作曲家)、フランツ・ヤウナー(演出家・劇場支配人)、ヴィルヘルム・ヤーン(指揮者)などの芸術的影響を受け、オペラ座の人気は益々高まっていきました。1897年に総監督となったグスタフ・マーラーは、古い上演システムを改新し、新しい舞台芸術を取り入れ、新世代歌手を積極的に起用するなどの第一次改革を行い、その後後継者たちにも引き継がれていきました。

又、マーラーはそれまでオペレッタを上演しなかったオペラ座にヨハン・シュトラウスの「こうもり」を正式なレパートリーとしました。

 

20世紀になると、総監督のリヒャルト・シュトラウスの「ナクソス島のアリアドネ」(1916年10月4日)や「影のない女」(1919年10月10日)の初演が行われます。

 

第二次世界大戦中、1938年から1945年年間はオペラ座暗い時代を迎えます。ナチスの下で多くの団員が追放・殺害され、様々な作品が上演禁止になりました。

1945年3月12日、連合軍の爆撃により舞台は破壊され、建物は火災に遭います。その後、ウィーン・フォルクスオーパーやアン・デア・テアーターウィーン劇場が仮の拠点となり、1955年11月5日カール・ベームによる「フィディオ」の上演で再開を果たします。

1956年に芸術監督に就任したヘルベルト・フォン・カラヤンはイタリア語やその他の外国語作品もドイツ語による上演を行ってきたそれまでの慣例を破り、原語上演の方針を導入し、これはその後ドイツその他の大劇場にも波及しました。

 

今日ウィーン国立歌劇場は、多大なレパートリーが故世界で最も重要なオペラ座の一つとみなされています。

 

2010年9月1日以来、音楽監督はフランツウェルザー=メスト、音楽総監督はドミニクマイヤー。

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