マノン·レスコー  ウィーンオペラ

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FEB 2022

マノン・レスコー


作曲:ジャコモ・プッチーニ

初演 1893年 2月 1日、王立歌劇場(トリノ)

設定 18世紀後半、フランス(アミアン、パリ、ル・アーヴル)アメリカ(ニューオーリンズ)

 

あらすじ

 

第1幕

アミアンの旅籠屋の前の広場。学生や娘達が騒いでいる。学生のエドモンドはアリア「美しき宵」を歌う。そこに学生の身なりをした、騎士のデ・グリューが現れる。女には興味がないと騒ぎに加わらないデ・グリューだったが、皆に催促され、アリア「金髪の美女達のなか」を歌う。そこに馬車が到着して、近衛軍曹のレスコー、その美しい妹マノン、そして老財務官のジェロンが降りてくる。デ・グリューは一瞬にしてマノンの美しさに惹かれるが、そのマノンが父親の意向で修道院に入るため、明朝出発することを聞く。デ・グリューはマノンに「行くべきではない」と情熱的に説得し、マノンも彼の言葉に感激して「夜更けに」と約束をする。愛の二重唱。 一人になったデ・グリューはアリア「見たこともない美人!」を歌う。デ・グリューの周りに集まった学生達は、デ・グリューの心変わりを笑い、恋の冒険を讃える陽気な合唱。マノンとジェロンが現れる。好色漢のジェロンはマノンを誘拐する下心でレスコー兄妹を食事に誘う。皆がカルタに興じている中、ジェロンがマノンを誘拐するための馬車の用意をさせる。その様子を目撃したエドモントはデ・グリューに伝える。ジェロンは約束どおりに戻ってきたマノンに駆け落ちを説得する。ためらうマノンだったが結局同意し、学生達の力を借り、ジェロンの用意した馬車で逃げ去る。二人が逃げたことを知り悔しがるジェロン、マノンは「二人はパリで見つかる…」と言う。してやったりの学生は高笑い。

 

第2幕

パリ、ジェロンの別邸。マノンはデ・グリューと引き離され、今はジェロンの愛人として贅沢な暮らしをしている。そこへ兄のレスコーが現れる。マノンは愛のない生活は寂しいと、アリア「このやわらかいレースにくるまれても」を歌う。楽士や舞踏教師がやってくるが、彼女を慰めることは出来ない。一人になったマノンのところへ、突然デ・グリューが現れる。はじめはジェロンの愛人となったマノンを罵るデ・グリューだったが、許しを請い愛を求めるマノンの魅力に怒りは消え、二人は激しく抱擁する。そこにジェロンが帰宅する。浮気の現場を見られてしまったマノンだが、ジェロンに鏡を突きつけて彼の醜さを指摘する。怒ったジェロンは警官にマノンを逮捕させるために退出する。デ・グリューはマノンに直ぐに逃げるようにせかすが、マノンは財宝に心が奪われて手間取る。デ・グリューのアリア「ああ、マノンお前の愚かさが」。警官が乗り込み、マノンは逮捕される。剣を手に取るデ・グリューだが、レスコーに止められる。

 

<間奏曲>

 

第3幕

ル・アーヴ港。マノンは他の女刑囚達と共に、新大陸アメリカへ流刑されることになり投獄されている。デ・グリューとレスコーはマノンを救うべく機会を狙っているが、警戒が厳重でうまくいかない。なんとか鉄格子越しに話しをするが、それも点灯夫に中断される。突然レスコーが現れ、警備が厳重で奪還は失敗した、早く逃げろと伝えるが、デ・グリューはその場を動かない。夜が明け太鼓が響き、獄舎の門が開かれ、女囚が船に乗せられるために引き出されてくる。この様子を見物する群衆に紛れ込んだデ・グリューとレスコーだが、なすすべもなく嘆いている。身の定めと諦めるマノン。やがて軍曹の号令が下ると、デ・グリューは思わずマノンにすがり軍曹に自分もアメリカへ連れって行ってくれと嘆願する。アリア「狂気のこの私を見てください」。軍曹は涙ながらの願いに心を動かされ、とうとうデ・グリューの乗船を許可する。

 

第4幕

アメリカ、ニューオリンズの荒野。植民地のアメリカでも問題を起こしたマノンとデ・グリューは、追っ手を逃れ荒野をさまよっている。マノンは疲れ果て動けない。デ・グリューはマノンを残して水と休息場を探しにゆく。マノンは死期を悟り、アリア「ひとり寂しく」を歌う。デ・グリューが戻るが、何も見つけることはできなかった。マノンは最後の力を振り絞り、甘美な二重唱を歌い息絶える。デ・グリューはマノンを抱きしめ慟哭する。(幕)

プログラムとキャスト

ウィーン国立歌劇場

 

EUROPERA Ticketではウィーン国立歌劇場のチケットのご予約を承ります。

ご予約いただいたチケットは劇場、又はオペラ座すぐ隣に我々のオフィスでお受け取り頂けます。

又、ウィーンで開催されるクラシックコンサートは勿論、ご希望であればオペラ座近くのホテルやレストランのご予約も可能です。

連絡先

住所:Operring 4, A-1010, Wien

電話:+43 19688622

メール  : office@vienna-concert.com 

 

 

公共交通機関

地下鉄: U1、U2 、 U4
トラム: 1 、 2、D 、62 
バス: 59A
停車駅:カールスプラッツ/オペラ Karlsplatz/Oper
タクシースタンドが近くにあります。又、公演終了時にはタクシーが劇場前に待機しています。ホテルまでのお帰りがご心配な方にはタクシーのご利用をお勧めします。



歴史


ウィーン国立歌劇場はウィーン造形アカデミーの建築家アウグスト・シカート・フォン・ジッカルツブルクとエドゥアルト・ファン・デア・ニルが共作で設計し、1869年5月25日、当時の皇帝フランツ·ヨーゼフと皇后エリザベートの存在下で、モーツァルトの「ドン・ジョバンニ」により盛大にこけら落としが行われました。

 

フランツ·フォン·ディンゲルシュテット(劇場支配人・詩人)、ヨハン・ヘルベック(指揮者・作曲家)、フランツ・ヤウナー(演出家・劇場支配人)、ヴィルヘルム・ヤーン(指揮者)などの芸術的影響を受け、オペラ座の人気は益々高まっていきました。1897年に総監督となったグスタフ・マーラーは、古い上演システムを改新し、新しい舞台芸術を取り入れ、新世代歌手を積極的に起用するなどの第一次改革を行い、その後後継者たちにも引き継がれていきました。

又、マーラーはそれまでオペレッタを上演しなかったオペラ座にヨハン・シュトラウスの「こうもり」を正式なレパートリーとしました。

 

20世紀になると、総監督のリヒャルト・シュトラウスの「ナクソス島のアリアドネ」(1916年10月4日)や「影のない女」(1919年10月10日)の初演が行われます。

 

第二次世界大戦中、1938年から1945年年間はオペラ座暗い時代を迎えます。ナチスの下で多くの団員が追放・殺害され、様々な作品が上演禁止になりました。

1945年3月12日、連合軍の爆撃により舞台は破壊され、建物は火災に遭います。その後、ウィーン・フォルクスオーパーやアン・デア・テアーターウィーン劇場が仮の拠点となり、1955年11月5日カール・ベームによる「フィディオ」の上演で再開を果たします。

1956年に芸術監督に就任したヘルベルト・フォン・カラヤンはイタリア語やその他の外国語作品もドイツ語による上演を行ってきたそれまでの慣例を破り、原語上演の方針を導入し、これはその後ドイツその他の大劇場にも波及しました。

 

今日ウィーン国立歌劇場は、多大なレパートリーが故世界で最も重要なオペラ座の一つとみなされています。

 

2010年9月1日以来、音楽監督はフランツウェルザー=メスト、音楽総監督はドミニクマイヤー。

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