マイ・フェア・レディ(ミュージカル)

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PreviousAPR 2026

 

 

マイ・フェア・レディ
フレデリック・ロウ、アラン・ジェイ・ラーナーによるミュージカル
ドイツ語上演(英語字幕付き)
1回の休憩あり

 

これは真のカルト作品です。『マイ・フェア・レディ』は、言語の力と男女の権力闘争を描いています。1979年から、フォルクスオーパーで観客を魅了し続けています。音声学の教授ヒギンズは、花売り娘イライザ・ドゥーリトルを、厳格な言語訓練を通じて上流階級のレディへと変貌させます。しかし、ヒギンズはイライザの言葉だけでなく、彼女の感情までも操っているのでしょうか?

ルース・ブラウアー=クヴァムは、この愛され続けてきた作品に新しい視点を加え、素晴らしいキャストとともに、年を重ねた作品の埃を払い、「マイ・フェア・レディ」に新たな輝きを与えます。

9歳以上推奨

 

あらすじ

第一幕
ロンドン:コヴェント・ガーデンの市場で社会階層が交差する。
エインズフォード=ヒル夫人と息子フレディ、そしてピッカリング大佐がタクシーを探している。そこで彼らは花売り娘のイライザに出会う。音声学者のヒギンズ教授は、周囲の言葉を聞き取り、誰がどこから来たかを言い当てて皆を驚かせる。彼はピッカリングを自宅に招待し、言葉によって社会的地位を変えられると主張する。イライザを店員として雇わせることもできると。

イライザは、より良い人生を夢見始める。
父親のアルフレッド・ドゥーリトルが金をせびりに来る。彼女は小銭を渡す。
厳しい発音訓練が始まり、イライザはアスコット競馬で最初の試練に臨むが、元の話し方に戻ってしまい失敗。しかしフレディは彼女に惹かれる。

 

第二幕
更なる訓練を経て、イライザは社交界の舞踏会に出席。大成功を収め、ヒギンズは賭けに勝利し、ピッカリングと喜び合う。
だがイライザにとっては、言葉以上に変化が起きていた。彼女はヒギンズと口論し、家を出ていく。
フレディに会い、彼から想いを告げられる。共にイライザのかつての街を歩き、父アルフレッドと再会。ヒギンズのいたずらでお金を得た彼は、結婚と「まともな人間」になることを強いられている。イライザは元の生活には戻れないと悟る。
ヒギンズの母親を訪ね、心の内を明かす。ヒギンズが現れ、再び口論。イライザは彼に別れを告げる。自分の人生を歩みたい—そして教えたい、と。

 

プログラムとキャスト

フォトギャラリー
My Fair Lady, Musical
Barbara Pálffy/Volksoper Wien
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フォルクスオーパー・ウィーン

フォルクスオーパーへのアクセス

地下鉄:U6
トラム:40 、 41 、 42
バス:40A
停車駅:ヴェーリンガーシュトラッセ/フォルクスオーパー(Währinger Straße/Volksoper)

タクシー乗り場は環ヴェーリンガーギュルテル(Währinger Gürtel・環状道路)沿いに位置しています。

又、公演終了時にはタクシーが劇場前に待機していますので、ホテルまでのお帰りがご心配な方にはタクシーのご利用をお勧めします。

 

フォルクスオーパーについて

ウィーン・フォルクスオーパーはウィーンでは国立歌劇場についで2番目に大きな歌劇場で、オペレッタ、オペラ、ミュージカル、バレエなど洗練された軽音楽が上演されます。

毎年9月から6月迄のシーズン内に約300公演、35演目が上演され、オペラ「魔笛」「トゥーランドット」、ミュージカル「マイ・フェア・レディー」、バレエ「真夏の世の夢」を始め、多大なレパートリーを誇ります。そして、何と言っても「こうもり」「メリー・ウィドー」「チャルダッシュの女王」「ワルツの夢」他、ウィーン特有のオペレッタはフォルクスオーパーの最も得意ジャンルとして常に生きる喜びに溢れた舞台音楽を堪能できます。

 

歴史

1898年、当時の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の即位50周年を記念し、建築家のフランツ・フライヘア・フォン・クラウスとアレクサンダー・グラフによって建設され、同年12月14日に開館しました。

1906年にはアレクサンダー・フォン・ツェムリンスキーが初代指揮者に就任。1907年に「トスカ」、1910年に「サロメ」が初めて上演され、世界的に有名な歌手であるマリア・イェリッツァやリヒャルト・タウバーなどが出演しました。

第一次世界大戦の時代、フォルクスオーパーはウィーン第2の歌劇場としての地位を守っていましたが、1928年に経営が悪化し倒産、翌年1929年からはオペレッタを主な演目としました。

第二次世界大戦終盤の数ヶ月はしないで2番目に大きな1,550席の映画館として使用されていましたが、終戦後、空襲で壊滅的な打撃を受けたウィーン国立歌劇場の代替役をアン・デア・ウィーン劇場とともにしばらく担っていました。

1955年に国立歌劇場が再オープンしてからは再び、オペラ、オペレッタ、ミュージカルなどの公演に復帰しますが、1991年9月より再度国立歌劇場に属し、出演歌手などが両方の劇場に所属するといった状態になっていましたが、1966年より独立。

 

 

Volksoper Viena
By Bwag - Own work, CC BY-SA 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=34011212
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