MUK交響楽団
MAR 2026 | ||||||
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音楽の鏡に映る人間と自然 – MUKシンフォニーオーケストラがジュネスと協力し、ベートーヴェン、ブーランジェ、ショスタコーヴィチを演奏する。
多様なスタイルと多彩な表現で、MUKシンフォニーオーケストラはウィーン楽友協会の大ホールに登場する。今回のプログラムは、1933年のドミートリイ・ショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第1番ハ短調op.35 — 作曲者自身が「古典的協奏曲の保守的で厳格な性格への嘲笑的挑戦」と表現した独自のスタイルをもつ作品 — から、若くして亡くなったフランスの作曲家リリ・ブーランジェ(1893–1918)の最後の作品『春の朝に』、そして1808年のルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの交響曲第6番ヘ長調へと広がる。この作品は、他に類を見ないほど音楽史において印象主義音楽への扉を開いたものである。
ベートーヴェンの田園交響曲では「自然」という主題が抽象的な音楽形式の中で規律された有機的なプロセスに組み込まれているのに対し、リリ・ブーランジェの後期ロマン派的な自然へのまなざし — 彼女は1913年に女性として初めて名誉あるプルミエ・グラン・プリ・ド・ローマを受賞した — はより抑制され、深く主観的でありながらも、燃えるような強い情熱に満ちている。
こうして、ブーランジェとベートーヴェンは、鋭いコントラストに満ちたショスタコーヴィチのピアノ協奏曲を縁取る存在となる。その音楽は、卓越した技巧を超えて、引き裂かれた世界における人間の感情の表現であり、抵抗と生き抜く意志のメッセージであり、それゆえに時代を超えた重要性を持つ音楽的証言である。
プログラムとキャスト
MUK交響楽団
アンドレアス・シュテーア 指揮
アレクサンダー・スヴェトニツキー クラリネット
プログラム
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
歌劇ドン・ジョヴァンニ 序曲 KV 527
カール・マリア・フォン・ウェーバー
クラリネット協奏曲第1番 ヘ短調 op. 73
– 休憩 –
ハンス・ヴェルナー・ヘンツェ
劇場への序曲
リヒャルト・シュトラウス
ドン・ファン ニコラウス・レナウによる大管弦楽のための交響詩 op. 20
ウィーン楽友協会
ウィーン楽友協会(ドイツ語:Wiener Musikverein(ヴィーナー・ムジークフェライン))は1812年設立されたオーストリア・ウィーンにあるクラシック音楽関係者による団体およびその本部の建物。日本では「楽友協会」と呼ばれることが多い。
大ホールは1870年に建設された。通称「黄金のホール」と呼ばれ、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地として知られる演奏会場である他、同じ建物に資料室や出版社、ベーゼンドルファー(ピアノメーカー)などが同居している。
協会の19世紀のメンバーには大作曲家ヨハネス・ブラームスなども名を連ねている。特にブラームスは協会主宰のコンサートで指揮を振り、小ホールで自身のピアノ作品の初演を行なっている。このため1937年に彼の功績を称え、小ホールが「ブラームス・ザール」と名づけられた。現在のメンバーにはロリン・マゼール、アルフレッド・ブレンデルなど。
楽友協会大ホール
「期待が如何に大きかろうとも、ひとたび足を踏み入れれば誰でも、目を奪うホールの美しさ、絢爛豪華な細部の装飾に圧倒される。」これはムジークフェラインのオープニングを報じた新聞の一節で る。落成を記念する最初のコンサートが催されたのは1870年1月6日のことで った。
実際、当時の人々が受けた印象は圧倒的なもので ったに違いない。音楽評論の法皇とも言うべきエドワルト・ハンスリックにとっても、大ホールの与える印象は強烈で、苛立った彼は「コンサートホールとしては絢爛豪華過ぎるのではないか」と問い掛けているほどで る。”至る所から黄金と色彩が沸き上がってくる…”この華麗な内装は、その豪華さに恐れをなした禁欲主義者ハンスリックが推定するように、音楽への集中を妨げるもので ろうか。それとも、今日に至るまで多くの音楽ファンが感じているように、全く反対の効果、即ち音楽への集中を助けるもので ろうか。
ブラームスホール
「誇張せず簡潔に表現すれば、これは我々が地球上で知る限り、最も美しく、最も豪華で、最も晴れがましい室内楽ホールであ る」――1993年10月、巨額を投じて修復されたブラームス・ホールが再び市民のまえに姿を現わしたとき、ウィーンのあ る日刊紙はこう評している。
大 ホールと異なり、ブラームス・ホールは歳月とともに大きく様相を変えてきた。如何なる経過で、いつごろからブラームス・ホールが1993年以前のやや寂れ た状態になったかは不明のままであ った。唯一確かだったのは、かつてのホールが全く異なる外観だったに違いないという事実だけであ る。「楽友協会新建築の工事と落成に寄せて」という記録文書の中で、当時まだ小ホールと呼ばれていたブラームス・ホールは「小さな宝石あ 」と称えられている。「愛すべき小ホールは大ホールと著しい対照を示している。その落ち着いた雰囲気とシンプルな品位は、正に特筆に価する…」
グラス・ホール/マグナ・オーディトリウム
コンサートから豪華な祝宴まで。グラス・ホール/マグナ・オーディトリウムは、4つのホールのうち最大であ るばかり でなく、最もレパートリーの広い催し物会場です。
ステージは移動式のため、極めて短時間のうちに、コンサートホールが会議センターに、映画館が舞踏会場に早変わ り。普通のステージをファッションショーの突き出し舞台に変えるもの簡単です。また大型の映像プロジェクターは、 半ば演出されたプログラムに最適です。
グラス・ホール/マグナ・オーディトリウムは、ウィーンの建築家ウィルヘルム・ホルツバウアーによって設計されまし た。高さ8mで、ギャラリーを含め380人分の席があ ります。