Orontea
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イタリア語とドイツ語上演、ドイツ語と英語の字幕付き
公演開始30分前に作品紹介があります
『オロンテア』 は、イタリアの作曲家アントニオ・チェスティによるプロローグと3幕からなるオペラで、ジャチント・アンドレア・チコニーニの台本(ジョヴァンニ・フィリッポ・アポッローニによる改訂)に基づいています。
あらすじ
プロローグ
“哲学”と“愛”という役が、人間を支配する力をより多く持っているのはどちらか論じ合う。
第1幕
女王オロンテーアの治めるエジプト。女王の相談役である賢人のクレオンテは、王国の利益のために結婚をすすめるがオロンテーアは「愛」を拒む。そのような時に、若い画家アリドーロが彼の母と思われるアリステーアともども保護を求めて王宮に到着する。アリドーロは、フェニキアの王宮から逃げ出さなければならなかった次第を説明する。オロンテーアは自ら誓いに反してアリドーロに恋したことを自覚する。しかも同様に、宮中の婦人シランドラもアリドーロに恋心を抱く。
第2幕
少年「イスメロ」に扮したジャチンタがオロンテーアの王宮へやってきて、フェニキアの女王がアリドーロを殺害するために追っ手を送り込んだことの背景に自らが関わっていたことを説明する。オロンテーアはジャチンタを殺害しないように、かろうじて自らを制する。クレオンテはいまや女王がアリドーロに恋していることを悟り、平民を選ばぬように女王をとがめる。アリステーアが「イスメロ」に恋をする一方で、アリドーロはシランドラの肖像を描く。オロンテーアは嫉妬に狂い、気を失ってしまう。彼女は後悔してアリドーロに対し、自らの愛を告白する手紙と王冠を託す。
第3幕
クレオンテはオロンテーアに対し、アリドーロを拒絶するように強いる。アリドーロが王位を示す装身具を持っていることが発覚し、盗んだのだと非難される。アリステーアは、アリドーロこそ長い間行方知れずとなっていたフェニキアの王子フロリダーノであることを証明するこの装身具の由来を説明する。幼いころに彼はアリステーアの夫の率いる賊にさらわれ、以来彼女が自らの息子として育ててきたのだという。かくしてアリドーロは、晴れてオロンテーアとの結婚を許される。
プログラムとキャスト
ウィーン・カンマーオーパー
ウィーン・カンマーオーパーは1953年にハンガリーの指揮者 Hans Gaborにより設立されました。最初は特定の公演場所を持たず、ウィーン・コンツェルトハウスのモーツァルト・ザールやシェーンブルン宮殿宮廷劇場などで公演が行われました。
1961年に文部省とウィーン市より補助金を与えられ、ホテル「ポスト」の舞踏会場が通常の公演場所となりました。
演目にはオペラ・ブッファ、オペレッタ、ジングシュピールなどですが、「カルメン」や「ラ・ボエーム」などの大オペラを室内楽に編曲した作品の初演も時折公演されました。1986年ジョージ・タボリ演出のレオンカヴァラドのオペラ「道化師」は大きな脚光を浴びました。
1999/2000シーズンではIsabella GaborとHolger Beckがウィーン・カンマーオーパーをの引き継ぎました。国際ハンス・ガボアー・ベルヴェデーレ・歌・コンクール(Internationaler Hans-Gabor-Belvedere-Gesangswettbewerb)によるオペラ歌手後継者の育成とこのオペラ座でのプロダクションはウィーン・カンマーオーパーの基盤になりました。
芸術的な課題としてGaborとBleckは大気なオペラハウスやフリーのグループにはないレパートリーを見つけることに注意を払ってきました。その結果、公演演目にはバロック・オペラ、オペラ・ブッファ、室内楽ミュージカル、現代劇場音楽などが取り入れられています。
2012年秋にはアン・デア・ウィーン劇場の傘下となります。特に2年ごとに交代する若手オペラ歌手7人のアンサンブルを参加させ、新たな活性化につながりました。
2012/2013シーズンより室内オペラプロダクション、アンサンブルメンバーにまつわるポートレイトコンサート、オープン・マチネ・コンサートなどが開催されています。
2012年よりセバスチアン・F・シュヴァルツが芸術監督、レナーテ・フッタークネヒトとともにカンマーオーパーの代表者となりました。
国際ベルヴェデーレコンクール
1982年から2012年までカンマーオーパーは国際ベルヴェデーレコンクール(歌のコンクール)を開催してきました。規模はかなり大きく、世界中の約50 都市から事前選考がありました。 2013年より、このコンクールはカンマーオーパーから切り離され、毎年違う場所で開催されることになりました。