キャバレー

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JAN 2026 Next

 

 

キャバレー
ジョン・カンダーとフレッド・エッブによるミュージカル
ドイツ語および英語で上演
1回の休憩あり

 

若きアメリカ人作家クリフォード・ブラッドショーは、新しい小説のインスピレーションを求めてベルリンにやってくる。伝説的なキット・カット・クラブで、彼はベルリンのナイトライフで最も刺激的な存在、歌手サリー・ボウルズと出会う。二人は恋に落ちるが、どちらも未来に希望を持てずにいた…。フロイライン・シュナイダーとユダヤ人の果物商ヘル・シュルツもまた、迫りくるナチス政権から愛を守ろうとする。不確かな未来の前に、彼らにできるのはただ「今を生きる」ことだけ。「さあ、キャバレーへようこそ!」

 

あらすじ
第1幕:1929年、ベルリン
「Willkommen, Bienvenue, Welcome!」―司会者の言葉とともに、我々は伝説のキット・カット・クラブの過剰で国際的で自由奔放な世界へと誘われる。そこでは“黄金の20年代”が終わりを迎えるその瞬間まで祝われていた…

一方、若きアメリカ人作家クリフォード・ブラッドショーは、新作の着想を得るためにヴァイマル共和国の首都ベルリンへと向かっていた。創作の行き詰まりを打破するための旅だ。列車の中で彼はおしゃべり好きなドイツ人エルンスト・ルートヴィヒと出会い、彼から密輸まがいのビジネスや、彼の知り合いが経営する格安の下宿、そして「ベルリンで一番ホットなクラブ」キット・カット・クラブのことを聞く。
ベルリンに到着したクリフォードは、紹介された下宿を訪れ、未亡人のフロイライン・シュナイダーと部屋の価格を交渉する。

年越しの祝いのため、クリフォードはエルンスト・ルートヴィヒと共にキット・カット・クラブを訪れる。その夜のスターはイギリス人歌手サリー・ボウルズ。デカダンスで風変わりだが魅力的なアーティストだ。二人はすぐに打ち解け、共通の母国語は彼らにとって官能的な刺激となる。しかし、サリーは舞台に呼び戻され、クリフォードはロンドン時代の旧知の男と再会する。「ハッピー・ニューイヤー!」

数日後、サリーは突然下宿に現れ、クリフォードに同居する決意を告げる。彼女の愛情深い説得と独特の魅力に抗えず、彼は同意する。二人の共同生活は奇妙な愛へと発展し、やがてサリーは妊娠する。
そのころ、フロイライン・シュナイダーは、過剰な男性客の出入りを理由に下宿人のフロイライン・コストと口論していた。一方で、彼女自身は同じ下宿に住むユダヤ人果物商ヘル・シュルツと親しくなっていた。二人の間に控えめな恋が芽生える。ヘル・シュルツは「小さな嘘」の文脈で婚約を発表し、フロイライン・シュナイダーは幸せそうに「イエス」と答える。

その後に開かれた婚約パーティーでは、サリーがクラブの仲間たちを連れてきて盛り上がっていた。幸せに酔いしれたヘル・シュルツは、ユダヤの歌「Meeskite」(醜さと意外な幸せについての寓話)を歌う。だが、エルンスト・ルートヴィヒが現れ、その歌に嫌悪感を示し、ユダヤ人との結婚を強く非難する。彼の政治的立場が露わになり、フロイライン・コストはすぐにその側に加わる。場の空気は一変し、ナチズムへの明白な支持へと変わっていく。

第2幕:1930年、ベルリン
言葉が行動へと変わり、ヘル・シュルツの果物店は反ユダヤ的な暴力の標的となる。フロイライン・シュナイダーは、ユダヤ人との結婚が避けられない困難をもたらすことを認め、婚約を破棄する。

経済的に困窮したクリフォードは職を探すが見つからず、サリーと生まれてくる子どもとともにベルリンを離れる決意をする。ナチズムが台頭するドイツに未来はないと考えるからだ。しかし、サリーは現実を受け入れようとせず、妊娠中でありながら再びクラブの舞台へ戻る。彼女はキャバレーへのほろ苦い賛歌を歌いながら、クリフォードはベルリンで拡大しつつある暴力に直面し、暴行を受ける。

翌日、下宿で二人は最後の対面を果たす。前夜の出来事で心が変わったサリーは中絶を決意する。二人は別れ、サリーはキット・カット・クラブへ、クリフォードはベルリンを後にする。

プログラムとキャスト

演出:Gil Mehmert

振付:Melissa King

舞台装置:Heike Meixner

衣装:Falk Bauer

照明:Michael Grundner

フォルクスオーパー・ウィーン

フォルクスオーパーへのアクセス

地下鉄:U6
トラム:40 、 41 、 42
バス:40A
停車駅:ヴェーリンガーシュトラッセ/フォルクスオーパー(Währinger Straße/Volksoper)

タクシー乗り場は環ヴェーリンガーギュルテル(Währinger Gürtel・環状道路)沿いに位置しています。

又、公演終了時にはタクシーが劇場前に待機していますので、ホテルまでのお帰りがご心配な方にはタクシーのご利用をお勧めします。

 

フォルクスオーパーについて

ウィーン・フォルクスオーパーはウィーンでは国立歌劇場についで2番目に大きな歌劇場で、オペレッタ、オペラ、ミュージカル、バレエなど洗練された軽音楽が上演されます。

毎年9月から6月迄のシーズン内に約300公演、35演目が上演され、オペラ「魔笛」「トゥーランドット」、ミュージカル「マイ・フェア・レディー」、バレエ「真夏の世の夢」を始め、多大なレパートリーを誇ります。そして、何と言っても「こうもり」「メリー・ウィドー」「チャルダッシュの女王」「ワルツの夢」他、ウィーン特有のオペレッタはフォルクスオーパーの最も得意ジャンルとして常に生きる喜びに溢れた舞台音楽を堪能できます。

 

歴史

1898年、当時の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の即位50周年を記念し、建築家のフランツ・フライヘア・フォン・クラウスとアレクサンダー・グラフによって建設され、同年12月14日に開館しました。

1906年にはアレクサンダー・フォン・ツェムリンスキーが初代指揮者に就任。1907年に「トスカ」、1910年に「サロメ」が初めて上演され、世界的に有名な歌手であるマリア・イェリッツァやリヒャルト・タウバーなどが出演しました。

第一次世界大戦の時代、フォルクスオーパーはウィーン第2の歌劇場としての地位を守っていましたが、1928年に経営が悪化し倒産、翌年1929年からはオペレッタを主な演目としました。

第二次世界大戦終盤の数ヶ月はしないで2番目に大きな1,550席の映画館として使用されていましたが、終戦後、空襲で壊滅的な打撃を受けたウィーン国立歌劇場の代替役をアン・デア・ウィーン劇場とともにしばらく担っていました。

1955年に国立歌劇場が再オープンしてからは再び、オペラ、オペレッタ、ミュージカルなどの公演に復帰しますが、1991年9月より再度国立歌劇場に属し、出演歌手などが両方の劇場に所属するといった状態になっていましたが、1966年より独立。

 

 

Volksoper Viena
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© Barbara Pálffy/Volksoper Wien
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