マノン
JAN 2026 | ||||||
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マノン – ジュール・マスネ | オペラ
全5幕のオペラ・コミック
アベ・プレヴォによる原作
第1幕~第3幕 – 約95分
休憩 – 約30分
第4幕・第5幕 – 約70分
あらすじ
第1幕
フランス、アミアンの宿屋。この宿屋に、放蕩貴族のギヨーは友人のブレティニや高級娼婦達と食事をしに立ち寄る。しかし、宿屋の主人がなかなか食事を運んでこないので腹を立てている。漸く食卓が整ったところに、1台の馬車が到着し、ブルジョワ達の群衆の中からマノンが降り立つ。マノンはその享楽的性格から修道院に入れられることになっていたが、彼女自身はその運命を既に諦めていた。マノンは、迎えに来た従兄レスコーに対して、この心情を表すアリア「私はまだぼうっとしています」を歌う。マノンの美しさに目を奪われたギヨーは、金と身分にものを言わせてマノンを連れて帰ろうとするが、レスコーに阻まれる。レスコーはマノンに節操を守るように説教し、自らは友人達と賭け事をするためその場から離れる。そこに、父の元へ向かおうとしていた騎士デ・グリューが登場し、マノンの美しさに目を奪われる。ためらいがちにマノンに話しかけたデ・グリューは、マノンの修道院入りの話を聞くと、それを思いとどまらせて、2人でパリに行くことを提案し、マノンも同意。2人は憧れの街パリへ逃れる。(以下、楽譜上省略可能)そこに登場したギヨーとレスコーはマノンが駈落ちしたことに怒り、集まった群衆はまんまとしてやられた2人を笑い飛ばす。
第2幕
パリ、ヴィヴィエンヌ通りのデ・グリューとマノンの家。2人は、貧しくとも愛情に満ちた生活を送り、デ・グリューは、マノンとの結婚の許しを求める手紙を父に記す。そこへ突然、マノンを我が物にしようとするブレティニと、彼に買収されたレスコーが現れる。レスコーはデ・グリューとマノンとの仲を認めたふりをし、デ・グリューが書いた手紙を満足げに読み上げる。その間にマノンはブレティニーから「貧しい生活とおさらばして、贅沢な暮らしをしよう」と誘惑され、さらにデ・グリューがその夜実家に連れ戻されることになっていることを知らされる。奢侈を求めるマノンは葛藤を抱えながらも、デ・グリューとの別れを決意。ブレティニとレスコーが一旦その場から離れ、デ・グリューは手紙を出すために不在にする。彼女はアリア「さよなら、私たちの小さなテーブルよ」を歌う。デ・グリューが帰宅すると、マノンが泣いている。彼は、その涙の理由が分からず、アリア「夢の歌」を歌い、彼女を慰める。そこへ父親の配下が現れ、デ・グリューを連れ去ってしまう。マノンは窓辺に駆けより、「私の可哀想な騎士さん!」と絶叫する。
第3幕
第1場
祭りで賑わうクール・ラ・レーヌ。ブレティニの目を盗んで、レスコーと3人の高級娼婦たちが遊びに繰り出している。そこへ女王然として登場したマノンは、その美しさを群衆に讃えられる。ブレティニは、ギヨーの「自分からマノンを奪わないでほしい」との懇願を退け、金に物を言わせてオペラ座のバレエ団を呼び寄せ、マノンを誘惑する。マノンはここで群集を前にアリア「私は全ての道を歩く」、「甘い愛に誘う声に従いましょう」を歌う。ここで現れたデ・グリューの父親、伯爵とブレティニの会話から、デ・グリューがサン・シュルピスの神学校にいることを知ったマノンは、友人の話とごまかしつつ、デ・グリューが自らのことを愛しているか尋ねるが、伯爵はデ・グリューがマノンのことを既に忘れていると述べ、マノンは衝撃を受ける。マノンはバレエもろくに見ず、デ・グリューの元へ向かうためその場を立ち去る。
第2場
サン・シュルピス大聖堂。デ・グリューはマノンとの思いを断ち切るために信仰に身を捧げることにした。だが、マノンへの思いは断ち切りがたくアリア「消え去れ、優しい幻影よ」を歌う。そこへマノンが登場。それに驚くデ・グリュー。彼はマノンのかつてのよりを戻す願いに耳を貸そうとしない。しかし、マノンが「あなたの手を握ったことを思い出してください」という「誘惑のアリア」を歌うと、心が溶かされてしまう。
第4幕
賭博場ホテル・トランスシルヴァニ。共同生活を再開したマノンとデ・グリューであったが、マノンの相変わらずの享楽的な生活は変わらない。そのためデ・グリューは亡き母の遺産をとうとう使い果たしてしまう。マノンはデ・グリューに賭博で金を稼ぐことを提案し、ためらう彼をホテル・トランシルバニアの賭博場に連れ出す。そこにはギヨーがいて両者は賭博で対決。幸運にもデ・グリューは賭博でもギヨーに勝利するが、それに腹を立てたギヨーはデ・グリューがいかさまをしたとでっち上げる。2人は哀れ、警察に逮捕される。
第5幕
ル・アーブルへの道中。捉われの身となったマノンとデ・グリューであったが、デ・グリューは父親の力添えで自由の身となる。しかし、マノンは売春婦としてアメリカに売り飛ばされることになった。マノンの奪還を試みるデ・グリューであったが、レスコーから「兵が集まらなかった」と聞かされ愕然とする。マノンの奪還が絶望的となり落胆するデ・グリュー。それに同情したレスコーは流刑船の関係者を買収し、両者の逢瀬の場を用意する。果たして。マノンとデ・グリューの逢瀬は実現したが、マノンは衰弱して明日とも知れぬ命であった。2人は熱い抱擁を交わし、変わらぬ愛を確かめ合うが、マノンは将に息絶えようとしていた。デ・グリューは「この手を握ったわが手を思いだせ」と叫びマノンを励ますが、マノンは空しく息絶える。
プログラムとキャスト
マノン・レスコー – クリスティーナ・ムヒタリヤン
デ・グリュー騎士 – ベンジャミン・ベルンハイム
デ・グリュー伯爵 – マテウス・フランサ
レスコー – ステファン・アスタホフ
指揮 – ベルトラン・ド・ビリー
演出 – アンドレイ・シェルバン
舞台美術と衣装 – ペーター・パプスト
ウィーン国立歌劇場
RM Europa Ticketではウィーン国立歌劇場のチケットのご予約を承ります。
その他、ヨーロッパ内(パリ、ミュンヘン、ミラノその他)のオペラ、コンサートのチケットも確実のに手配いたします。
ご予約いただいたチケットはEチケットとなります。もしもEチケットが届かない場合は、メールでお知らせください。
又、ウィーンで開催されるクラシックコンサートは勿論、ご希望であればオペラ座近くのホテルやレストランのご予約も可能です。
連絡先
住所:Wohllebengasse 6/2,
1040, Wien
電話:+43 19688622
メール : office@vienna-concert.com
公共交通機関
地下鉄: U1、U2 、 U4
トラム: 1 、 2、D 、62
バス: 59A
停車駅:カールスプラッツ/オペラ Karlsplatz/Oper
タクシースタンドが近くにあります。又、公演終了時にはタクシーが劇場前に待機しています。ホテルまでのお帰りがご心配な方にはタクシーのご利用をお勧めします。
歴史
ウィーン国立歌劇場はウィーン造形アカデミーの建築家アウグスト・シカート・フォン・ジッカルツブルクとエドゥアルト・ファン・デア・ニルが共作で設計し、1869年5月25日、当時の皇帝フランツ·ヨーゼフと皇后エリザベートの存在下で、モーツァルトの「ドン・ジョバンニ」により盛大にこけら落としが行われました。
フランツ·フォン·ディンゲルシュテット(劇場支配人・詩人)、ヨハン・ヘルベック(指揮者・作曲家)、フランツ・ヤウナー(演出家・劇場支配人)、ヴィルヘルム・ヤーン(指揮者)などの芸術的影響を受け、オペラ座の人気は益々高まっていきました。1897年に総監督となったグスタフ・マーラーは、古い上演システムを改新し、新しい舞台芸術を取り入れ、新世代歌手を積極的に起用するなどの第一次改革を行い、その後後継者たちにも引き継がれていきました。
又、マーラーはそれまでオペレッタを上演しなかったオペラ座にヨハン・シュトラウスの「こうもり」を正式なレパートリーとしました。
20世紀になると、総監督のリヒャルト・シュトラウスの「ナクソス島のアリアドネ」(1916年10月4日)や「影のない女」(1919年10月10日)の初演が行われます。
第二次世界大戦中、1938年から1945年年間はオペラ座暗い時代を迎えます。ナチスの下で多くの団員が追放・殺害され、様々な作品が上演禁止になりました。
1945年3月12日、連合軍の爆撃により舞台は破壊され、建物は火災に遭います。その後、ウィーン・フォルクスオーパーやアン・デア・テアーターウィーン劇場が仮の拠点となり、1955年11月5日カール・ベームによる「フィディオ」の上演で再開を果たします。
1956年に芸術監督に就任したヘルベルト・フォン・カラヤンはイタリア語やその他の外国語作品もドイツ語による上演を行ってきたそれまでの慣例を破り、原語上演の方針を導入し、これはその後ドイツその他の大劇場にも波及しました。
今日ウィーン国立歌劇場は、多大なレパートリーが故世界で最も重要なオペラ座の一つとみなされています。
2010年9月1日以来、音楽監督はフランツウェルザー=メスト、音楽総監督はドミニクマイヤー。