皇帝ティートの慈悲

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MAR 2026

 

ティートの慈悲 – ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト | オペラ
全2幕のオペラ・セリア
台本:ピエトロ・メタスタージオ
カテリーノ・トンマーゾ・マッツォーラによる改訂

 

第1幕 – 約55分
休憩 – 約25分
第2幕 – 約65分

 

 

あらすじ

ティートの父ウェスパシアヌスは数々のライバルを倒して皇帝となった人物で、息子のティトゥス(ティート)はユダヤ戦争を指揮してエルサレムを鎮圧した。古代ローマの町ポンペイが大噴火で埋まった時の皇帝であり、災害復旧に寝る間も惜しんで尽力したが、激務のために早死にしてしまった。ということで大変慈悲深い皇帝として知られている。ポンペイは1739年に発掘され一大センセーションを巻き起こした。古代ギリシアから古代ローマまでの真の姿はこの遺跡から想像して見ることしかできない。モーツァルトは父に連れられてポンペイ遺跡を見ている、このことは父の手紙に詳しい。

 

第1幕

ヴィテッリアは自分の父から皇位を奪ったティートを憎んでいるが、自分が皇妃となることを望み、ティートがユダヤの王女ベレニーチェを妃に迎えることに嫉妬する。ヴィテッリアは自分に思いを寄せるセストをそそのかして、ティートを暗殺させようとする。そこにアンニオが現れ、ティートがベレニーチェと別れたと告げる。アンニオはセストの妹セルヴィリアとの結婚を望んでいる。ところが、ティートがセルヴィリアを妃に迎えると語り、セストとアンニオは苦悩する。

 

セルヴィリアはアンニオを愛しているとティートに申し出る。ヴィテッリアは再びティートを暗殺するようセストをそそのかす。セストはヴィテッリアの言うとおりにすると決意する。セストが立ち去ると、アンニオとプブリオが現れ、ティートがヴィテッリアを妃に迎えると告げ、ヴィテッリアは驚愕する。セストはティートの暗殺を決行してしまい、混乱のうちに幕となる。

 

第2幕

アンニオは、ティートが無事だったことをセストに伝える。旅立とうとするセストをアンニオは引き止める。しかし、セストはプブリオに逮捕されてしまう。ティートはセストが犯人であることを信じようとしない。アンニオはセストの助命を嘆願する。ティートは裏切られたとショックを受けるが、死刑宣告への署名をためらう。ティートはセストから事情を聞きだそうとするが、セストはヴィテッリアをかばって罪をかぶる。

 

アンニオとセルヴィリアは、セストの助命をティートに嘆願するようヴィテッリアに頼み込む。ヴィテッリアはティートに自分の罪を打ち明けようと決心する。ティートがセストに死刑を告げようとする瞬間、ヴィテッリアは自分が首謀者であると名乗り出る。ティートは「裏切りよりも慈悲が強い」として、すべてを許す。一同はティートを讃え、幕となる。

プログラムとキャスト

ティート - カトレホ・モコアバネ
ウィテッリア - ハンナ=エリザベート・ミュラー
セルウィリア - フロリナ・イリエ
セスト - エミリー・ダンジェロ
アンニオ - アルマ・ノイハウス
プリオ - マテウス・フランサ

 

音楽監督 - パブロ・エラス=カサド
演出・振付・舞台美術 - ヤン・ラウワース
演出助手 - エミリー・ヘール
衣装 - ロット・レム
照明 - ケン・ヒオコ
共同振付 - ポール・ブラックマン
ドラマトゥルク - エルケ・ヤンスンス

ウィーン国立歌劇場

 

RM Europa Ticketではウィーン国立歌劇場のチケットのご予約を承ります。

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ご予約いただいたチケットはEチケットとなります。もしもEチケットが届かない場合は、メールでお知らせください。

又、ウィーンで開催されるクラシックコンサートは勿論、ご希望であればオペラ座近くのホテルやレストランのご予約も可能です。

連絡先

住所:Wohllebengasse 6/2,

1040, Wien

電話:+43 19688622

メール  : office@vienna-concert.com 

 

 

公共交通機関

地下鉄: U1、U2 、 U4
トラム: 1 、 2、D 、62 
バス: 59A
停車駅:カールスプラッツ/オペラ Karlsplatz/Oper
タクシースタンドが近くにあります。又、公演終了時にはタクシーが劇場前に待機しています。ホテルまでのお帰りがご心配な方にはタクシーのご利用をお勧めします。



歴史


ウィーン国立歌劇場はウィーン造形アカデミーの建築家アウグスト・シカート・フォン・ジッカルツブルクとエドゥアルト・ファン・デア・ニルが共作で設計し、1869年5月25日、当時の皇帝フランツ·ヨーゼフと皇后エリザベートの存在下で、モーツァルトの「ドン・ジョバンニ」により盛大にこけら落としが行われました。

 

フランツ·フォン·ディンゲルシュテット(劇場支配人・詩人)、ヨハン・ヘルベック(指揮者・作曲家)、フランツ・ヤウナー(演出家・劇場支配人)、ヴィルヘルム・ヤーン(指揮者)などの芸術的影響を受け、オペラ座の人気は益々高まっていきました。1897年に総監督となったグスタフ・マーラーは、古い上演システムを改新し、新しい舞台芸術を取り入れ、新世代歌手を積極的に起用するなどの第一次改革を行い、その後後継者たちにも引き継がれていきました。

又、マーラーはそれまでオペレッタを上演しなかったオペラ座にヨハン・シュトラウスの「こうもり」を正式なレパートリーとしました。

 

20世紀になると、総監督のリヒャルト・シュトラウスの「ナクソス島のアリアドネ」(1916年10月4日)や「影のない女」(1919年10月10日)の初演が行われます。

 

第二次世界大戦中、1938年から1945年年間はオペラ座暗い時代を迎えます。ナチスの下で多くの団員が追放・殺害され、様々な作品が上演禁止になりました。

1945年3月12日、連合軍の爆撃により舞台は破壊され、建物は火災に遭います。その後、ウィーン・フォルクスオーパーやアン・デア・テアーターウィーン劇場が仮の拠点となり、1955年11月5日カール・ベームによる「フィディオ」の上演で再開を果たします。

1956年に芸術監督に就任したヘルベルト・フォン・カラヤンはイタリア語やその他の外国語作品もドイツ語による上演を行ってきたそれまでの慣例を破り、原語上演の方針を導入し、これはその後ドイツその他の大劇場にも波及しました。

 

今日ウィーン国立歌劇場は、多大なレパートリーが故世界で最も重要なオペラ座の一つとみなされています。

 

2010年9月1日以来、音楽監督はフランツウェルザー=メスト、音楽総監督はドミニクマイヤー。

© Bwag/Commons
© Wiener Staatsoper
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